冬。
いつも気にしないで当たり前に使っている漢字ですけど、よく見ると不思議な感じがします。
ボクらは今までの経験でこの季節とこの漢字が見事に一体化させているわけですけど、まじまじと見るとそうだったかな?という気になりませんか?(変でしょうか?)
当たり前過ぎるモノは意識することが少ないので、いざ意識すると違和感を覚えるのでしょうか。
ちなみに「冬」を語源由来辞典で調べてみると・・・
http://gogen-allguide.com/hu/fuyu.html
冬の語源は、「冷(ひゆ)」が転じたとする説。
寒さが威力を「振う(ふるう)・振ゆ(ふゆ)」が転じ、「冬」になったとする説。
寒さに「震う(ふるう)」が転じて、「冬」になったとする説。
「殖ゆ(ふゆ)」が転じて、「冬」になったとする説がある。
誰が名付けたのか分からない。なぜこのように名付けられたのかも分からない。
でも、みんなが知っている。コトバは不思議です。
普及したのは今のように情報伝達が発達していない昔の話ですから、いつの間にかこの季節は「ふゆ」と呼ばれているんでしょうね。少しずつ地域を広げて、世代を超えて広がっていく「ふゆ」・・・
みなさん、ハローです。ホディです。
別に「愛ルケ」に刺激されて「ふゆか~」を想像していたわけではありません。
当たり前に使うコトバも、実は当たり前ではなかった時代もあるわけで、そんなコトバがいつの間にか定着する、そしてボクらの意識の中にも明確な形はないかもしれませんけど「冬」としてすり込まれている。。。何か不思議じゃありませんか?
さて、ボクの訳のわからないディープな世界は置いておいて・・・
コトバといえば、道端で携帯電話に怒鳴っている人を見かけました。
「おかしいだろ。大会社なんだからすぐ持って来い。・・・ふざけるな。責任者出せ。」
・・・と、こんな感じでした。
ボクも同じようなことを電話で時々言われます。そして、同じようなことを言っていることもありますね。
そもそもお互いに必要なモノを交換し合って出来たはずの経済が、最近は“お金を支払ってサービスを受けるもの(=顧客)”と“お金をもらってサービスを提供するもの(=会社)”の主従関係が成り立とうとしています。本来はお互い必要としている対等な関係であるものだと思うんですけど。。。競争社会なので、お金を多く集めるゲームだと考えれば当たり前のルールなんでしょうね。
ただ、ボクには最近すごく違和感があります。
怒って得たものは、結局、何なのか?
怒られても守らなければいけないものは、結局何なのか?
損とか得とかそんな二択ではなく、社会がバランスを保っていた時代にはお互いが信頼し合って「分かりました」と言い合えていたはずですよね?
でも、最近は「お金を払った」という執念と、「特別扱いは勘弁」という逃げ腰の大激突。正面衝突。
そんなボクも反復横飛びのように立場を変えて、どちらの立場でもストレスをためているわけですけど・・・
ボクの場合は、どちら側でも、そんなやり取りで得たものは、結局、空しさだけだったりします。
幸せになるためにヒトが作り出した物々交換が、窮屈な関係を作り出しつつある現代社会になりつつあるんではないですか?
そして、怒る理由は様々、怒られる理由も様々ですけど、怒鳴らなくても良い関係、怒鳴られなくても良い関係、そんな信頼関係は難しいでしょうけど無理ですか?
コトバが伝えるのは文字ではありません。伝えるのはコトバに意思を込めた、発するヒトの思い。
忘れてはいけないと思います。
今日のボクが寒く感じたのは、冬のせいだけではありませんでした。
確かにそうですよね。言葉は無色透明なものではなくて、発した瞬間に力を持つのだとわたしは思います。だから昔のひとは言霊というものを現代よりもずっとリアルに信じたのじゃないでしょうか。普段何気なく自分が発する言葉にも何がしかの力が宿るかと思うと、つい言葉に詰まってしまうことがたまにあります。
同感ですね。最近はコトバが溢れて、軽くなっているのかもしれませんね。そういうボクもコトバを氾濫させているひとりですけど。
「言霊」・・・近頃はあまり聞かないコトバですね。
ボクも、そういう非科学的なモノも実は大切ではないかと最近感じ始めています。
私には暮らしにくい世の中の流れになりつつ、というかもう既になってしまっているのか…。
私の知人は、家庭の中、周辺の人間関係に疲れ果て、ある日『yuyu、ひらがなの”な”の字が思い出されへんねん!字を見ても、これが”な”って字だったかわからへん…』今は少し周辺が改善
された様で元気ですが、心の内面はまだまだ修復されてないし、何かで埋め直す事なんて結局は難しい事なのでしょうか。
歓迎会は、やはり一次会終了後逃げ切れず、最後は社長と開発室長と0時頃迄色々話し合い(仕事の話しになっちゃうんですよねー)
その間9月に入った新人が何度も「どこですか?迎え行きます」と電話をくれたり、千葉の職方さんが泊めてくれ~と電話が入ったり。新人はホントに迎えに来て下さり送って下さり、挙句の果て翌朝また迎えに来て下さりました。
私って怖いのかな~
決して迎え来い
済みません
いよいよhoddyさんの「愛ルケ」考が展開されているものかと・・・。
言霊、わたしもそういう一種霊的な力ってあると思います。
「言霊」ってコトバを調べると『日本は言霊の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた』って書いてありました。
言霊の力によって禍がもたらされないように心して喋らないといけませんね。
最初のコメントの終わり方に思わず笑ってしまいました。
だんだん人柄の想像が膨らんでいきます。昨日はボクも飲み会で、ほどほどだったんですけど・・・アルコールに弱いもので、朝まで頭痛です。
それにしても、複雑に絡み合う世の中、yuyuさんのおっしゃる通り「何かで埋め直す」ことは出来ないものですかね?
難しいですね~。
ks+さん、コメントありがとうございます。
広島はいいですね。ボクも地元が隣の県にも関わらずあまり行ったことがないので、久しぶりに行ってみたくなりました。いつになるやら・・・
日本は「言霊の幸ふ国」ですか。そうなるように願いたいですね~。そんなボクも昨日は酔っ払って、自ら禍をもたらすような発言をしてしまいました。
覆水盆に帰らず。おっしゃる通り心してしゃべるべきですね~。
そして、「愛ルケ」考まではいきません(笑)が、ボクの朝の大切なひとときですので、機会があればネタにしたいところです。