前原誠司外務大臣が、昨日、辞任されました。
ご承知のとおり、外国人の方からの献金を受けていたということですが、故意の受領でなければ本来は罰せられることはないとのこと。けれども、前原前外相は「法的な問題がないとしても、政治的な責任を取りたい」という辞任だったようですね。
時事通信 3月7日(月)12時7分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110307-00000038-jij-pol
外国人から違法な政治献金を受けていた前原誠司前外相の辞任から一夜明けた7日午前、野党側では菅直人首相の任命責任や、前原氏の国会での説明責任を問う声が相次いだ。自民党は、専業主婦の国民年金切り替え忘れ問題で細川律夫厚生労働相の責任も追及。菅政権を「閣僚辞任ドミノ」に追い込み、早期の衆院解散につなげたい考えだ。
自民党は「さぁ、解散へ」と勢いづいているようですね。
ボクは、先日もブログに書いたとおり(2011.3.5「献金を受けた罪」)、こうした本質ではない表面的な問題認識のもと、浅い議論で簡単な結論を出すことは良くないと非常に危惧しています。特に法という、ある意味、多くの人を思考停止に導き易い呪文によって、「過剰コンプライアンス」を押し付け、排除の理論を突きつける最近の風潮は嫌いです。
ましてや「国会」という、日本で一番、多様な価値観や立場から議論してほしい場で、こういうことになることは残念でなりません。
でも、、、そのブログを書いていた土曜日には、比較的、前原前外相に対して応援したい気持ちにもなっていたんですが、日曜日に早々と、かなり強い逆風が吹き付ける大臣の座という仕事場から去っていく会見を目にすると非常に悲しいものを感じました。何だか、沈みゆく船から逃げ出していくネズミの姿がダブって見えたんですよね。(顔がネズミ系というのは、さすがに失礼か。ごめんなさい。)
自民党の言う「閣僚辞任ドミノ」を待たずして、ネズミが次々と去っていく日も近いんでしょうか。
前原前外相は、次期首相との声もあったくらいですし、やっぱり今後の政治生命のためにも今回の法違反は何が問題なのか、どのような責任を取る必要があるか、などを逆風に耐えながらも訴えていかなければ、今回のレッテルはなかなか払拭しにくいのではないでしょうか。(そういう意味では、小沢一郎氏はこういうことをしっかりとやっているんですよね。)
さらに言えば、ここで自分が去ることで、自分への逆風がどこに向かうのかも容易に想像できたとボクは思うんです。菅政権という組織?チーム?の中で、まだまだ果たすべき役割があったはず。そういう泥臭い仕事ができない、チームを支える意識がない、そういうレッテルにもつながりかねません。
辞めるという責任の取り方は、時と場合によっては逆に「無責任」にもなります。今回は、こうした典型的な例だと思いました。
前原前外相が昔からお世話になっていた“焼肉屋の経営者”の方は、どんな風に今回の前原前外相の言動をみていたんでしょうか。受け取れない献金は受け取れないのは当然ですが、支援・応援の気持ちは受け取れたはずですよね。こうして、辞任によって根っこから否定してしまったことで、ボクは前原前外相は大きなものを失ってしまったように思います。
献金のお金は返せるけど、応援の気持ちは返せない。
民主党政権を支持してるのは犯罪と政治活動の区別も付かない痴呆ばっかりですね
せいぜい民主党に投票して国を傾けてください