街を歩くとチラホラと着物姿の女性を目にしました。
今日は成人の日なんですね。
思えば、ボクの場合は15年前くらいですか。そのころは今のようにハッピーマンデーではなくて、“成人の日は1月15日”と日にちが決まっていたんですけど、田舎でしたので、帰省のときを狙って確か1月4日?に成人式でした。
はじめてのスーツを着て、少し大人になった気分だったのか???
どうなんでしょう?忘れてしまいました。
式の内容もすっかり。。。お祝いでカード式の電卓をもらったことと、着ていたスーツだけなぜか覚えています。
そんなものなんですかね?
みなさん、ハローです。ホディです。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で「成人の日」を調べてみますと、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%97%A5
国民の祝日に関する法律(祝日法)では「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ことを趣旨としている。
成人になった人は、「おとなになったことを自覚」する日。
その他の人は、「みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」日。
ということだそうです。
でも、ニュースでは例によって、“荒れる成人の日”をクローズアップしていました。
そのニュースでは以下のことをはじめに取り上げて、その後で浦安市のディズニーランドでの成人式などを取り上げていましたね。
新成人、式典後に騒ぐ=警官隊ともみ合いも-那覇市
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060108-00000051-jij-soci
サスケ県議と一時もみ合い 新成人がクラッカー
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060109-00000137-kyodo-soci
「成人」って、何なんでしょうね?
「成人=おとな」と考えれば良いのでしょうか?
難しいですね。
心身ともに成長するスピードは人それぞれ違うように、本当は成人するのも人それぞれ違うんでしょうね。
昔の元服は「12-16歳の男子が成人したことを表すために行われ、氏神の社前で大人の服に改め、角髪(みずら)と呼ばれる子供の髪型を改めて大人の髪を結い、冠をつける」ことだったそうです。
※同じく『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
昔は、何かのきっかけで親が子を12~16歳の間で「成人」したと決めていたんでしょうかね?
昔の常識だったはずですけど、現代では“あり得ない”ですよね。
日中、ボクが何気なく想像しながら笑っていたのは、自己申告制で18歳以上の人を対象に成人式をやったほうがいいのではないか?なんて。
人それぞれ「成人した」と思う理由を持ち寄って発表する。もちろん再成人もあり。18歳から50歳くらいまでの人が集まって、自分たちで祝い合う。親子で同じ日に成人したりするケースもあったりして・・・
こんなバカなことを考えるのはボクだけでしょうね・・・
本当は「成人」なんて、カエルやトンボじゃないんで客観的に区別なんて出来ない。
要は自分で「成人=一人前(おとな?)」だと自覚できるかどうかという主観的な問題なんでしょうね。しかも着物やスーツを着た一瞬だけ自覚できれば良いものではなく、これからずっと「成人」だと自覚し続けなくてはならない。難しいことですよね。
昔のように髪を結ったり、冠をつける習慣のない現代では、なかなか成人したと自覚するにも難しい世の中です。
成人式をとっくに終えていても、「おとなになんかなりたくない」といっている人も多そうですしね。
ボクらは、新成人が「おとなになったことを自覚」しているかどうかは別として、「みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ことをすべきなんでしょう。ボクらも「おとなになったことを自覚」しているつもりだけかも知れませんしね。
最後になりましたけど、何はともあれ、新成人のみなさん、おめでとうございます。
いっしょに「おとなになったことを自覚」し続けられるようにがんばりましょう。
>カエルやトンボじゃないんで客観的に区別なんて出来ない。
まさに(笑)。ものすごく納得してしまいました。
自己申告制の成人式だったら面白いですね。
さて,成人式って,本来は「自分が無事に大人になったことを親兄弟や社会の人に対して感謝をし,回りの大人達はその成人を心から祝福すると共に,大人として厳しくかつ暖かく見守るもの」だと思います。
おっしゃるとおり,本来は,一律二十歳とするのではなく,「今日から大人」と自覚する人を祝うべきなのかもしれませんね。
とはいえ,ほとんどの新成人達は,しっかりと自覚を持っていることと思います。私も,新成人の見本となるよう,大人らしく行動しようと思います。
成人式には参加しなかったbabaです...。
20才の時はまだ学生で、親のすねっかじりでしたから、自分の中ではなんら節目感が沸かなかったんですよね...。
卒業して働き始めると同時に1人暮らし始めて自立した時、20才の時には感じなかった節目?を感じたことを思い出しました。
お二人の記事、直接コメントも書かせていただきましたけど、頷きながら読んでいました。
いろいろな意見が読めるのはブログの面白さですね。これからもよろしくお願いします。
babaさん、コメントありがとうございます。
節目って何度かありますよね。
そう言う意味では、ボクは今が何度目か数え切れませんけど、節目ですね。。。
「竹」のように節目を繰り返して大きくなっているんでしょうね。
地元の成人式参加してきました。
市長さんの話では参政権ということが強調されてまして、当たり前かもしれないけど、自治体で行われる「成人式」ってそういうものかなと思ったりしました。開いてもらったことは嬉しいんですが。
でも晴着で電車に乗ってると知らない方からもお祝いを言われたり、「祝い励まされた」んですね。嬉しかったです。
年齢的なもの以上に「素敵な大人」になりたいと思う日々です。
長くなってしまいました
成人、おめでとうございます。
祝福されるって嬉しいでしょうね。ボクの場合は、新成人らしき人たちを見かけたんですけど、お祝いなんて言えませんでした。。。「素敵な大人」はまだまだですね。
こういう気持ちが続くといいですよね。いっしょにがんばりましょう!
ところでホディさんはMixiでのやり取りはしておられますか?ホディさんとはフィーリングが合うのでよかったら入られませんか?
お久しぶりです。
成人式は“お嬢さん”は着物とか色々大変なんでしょうね。うちの子も七五三でも大変でしたから、きっと成人式は・・・
なんて、親バカですネ。
そして、Mixiは是非、入れていただけますか?
嬉しいです。よろしくお願いします。