考える葦のブログ

さわやかに さりげなく

踊り場で憲法を考える

2006-01-30 23:36:16 | 徒然なるままに

春を思わせるような暖かい一日でしたね。
今日は自転車で少し走りましたけど、気持ちよかったですよ。

階段から転がって以来、さまざまな面でなかなか調子が出ません。
階段の踊り場まであと1段というところを勘違いして、こけてしまったのがそのアクシデント・・・すっかり捻挫も治って、株価も回復して、風邪も治ったんですけどね。
踊り場に何か忘れてきたかのような今日この頃です。

みなさん、ハローです。ホディです。

日経新聞の今日の朝刊に脳科学者の茂木健一郎先生の記事がありました。5面の「インタビュー領空侵犯」。内容は「憲法論議で忘れていること」。
まず茂木先生が法学部を卒業されていることを、はじめて認識しました。何かの経歴で見たことがあるのかも知れませんけど、先入観って怖いですね。

さて、記事についてですけど、う~んと朝から考えさせられました。
少し引用しますと、

(英国留学中の話で)
首相の選出でも、最大多数の政党の党首に女王が要請する形をとるわけですが、明文規定はなく、あえてルールを決めていないんですね。でも、こうした人間の判断を信じる非成文憲法やコモンローというのが、実は恐ろしいまでの英国の英知なのだということに気づきました。

日本の憲法論議は条文があって精緻に突き詰めていって、それで国政を運営するという悪い意味での条文主義に陥っている。

人間の知能・知性は、ルールの集合体では書けない」、「人の生き方だとか国の運営の仕方とか、根幹にかかわることほど、実は明文規定などできるはずがない」のだそうです。
条文を制定すればよいというものではないのだと。

物事をコトバで理解しようとすればするほど、味気ないものになってしまうような感覚がボクにはあります。だけど、コトバでしか自分でも理解できないし、他人にも伝えられないもどかしさ。
そして、まずコトバありきで物事を考えようとすると、さらに味気ない。

今まで考えたこともなかったのですけど、実は憲法も同じなのかもしれません。
憲法を作る際には、もっといろいろな要素を入れようと思ったけど、明文化できずにもどかしかっただろうな・・・なんて。
また、憲法という条文ありきで考えると、駄目とは書いてないから違憲ではないとか、解釈が・・・とか、整合性が・・・とか、本質ではないコトバの議論になってしまう。

でも、「憲法」って大切ですよね。
ボクらは同じ日本で生きていくうえで、すべての行動の規範となる「憲法」に従っていかなければいけないわけです。だから、“改憲”という意味ではないんですけど、常にボクらは憲法を見つめ直していかなければいけないし、意識を合わせていかなければいけないのだと思います。

最後にもう少しだけ引用します。

自分たちはこういう人間だとリアルに見つめ直すことでしか、日本人にとっての憲法は見つからないのではないでしょうか。

こういう時代だからこそ、表面的な憲法の議論ではなく、自分たちの「内なる憲法」の議論をしたいですね!

※茂木健一郎先生のブログ『クオリア日記』に掲載文の訂正が載っていました。
 特に「方言」(正しくは「法源」なのだそうです)の部分は、確かに最初読んだときに意味が分からなかった・・・(ボクの不勉強のせいかと思っていましたけど。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (shiba)
2006-01-31 08:57:31
こんにちは。



領空侵犯、わたしも読みました。書いてあることによって安心しておきたいようなところがあるのでしょうかね。あるいは、書いておかないと何をしでかすか分からない、という不安でしょうか。



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(^v^) (hoddy)
2006-01-31 21:55:26
shibaさん、コメントありがとうございます。



「書いてあることによって安心しておきたい」

そういうことなんでしょうかね。

最近の改憲論議を見聞きすると、逆に「何をしでかすか分からない」と不安になったりします。

茂木先生の言う「英国の英知」のようなヒトの力は日本では期待できないのでしょうかね。。。



返信する
はじめまして (田父神呆雄)
2008-04-23 12:23:37
防衛省そのものが、国民や、民主主義各国に対して、銃口を向けているのと同じではないでしょうか。
憲法=国民主権で、基本的人権の尊重遵守を実現し、統治する行政の側に箍をはめたもの、という常識が気に食わない、認めない、と言っているのですから。防衛省のみならず、自民党の偉い方々も、それこそ平和ボケで、威勢のいいことを言って、憲法を冒涜しているように思えてなりません。
4月ということで、

 -進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目覚メルコトガ最上ノ道ダ 日本ハ進歩トイフコトヲ軽ンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダハツテ、本当ノ進歩ヲ忘レテヰタ 敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ハレルカ 今目覚メズシテイツ救ハレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ヂヤナイカ
という、臼淵大尉の言葉を、勇ましいことを平和ボケでほざいている政治家や知識人、防衛省は、どのように受け止めるのか、と、思います。

     (「戦艦大和の最後」吉田 満著より)
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Unknown (hoddy)
2008-04-24 08:33:16
田父神呆雄さん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
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