全員野球。
一見美しく響く言葉ですよね。
One For All. All For One.
日本ラグビー、スクールウォーズの世界と重なってしまう人も多いと思います。
でも、本当にそうなんですかね?
「全員野球」の声が響くとき・・・
第三者である評論家の声であった場合は、誉め言葉と理解しても良いと思います。これは異論ありません。
でも、それが指導者の声だったら? あるいは選手のだったら?
個人競技ではない、球技からすればチームプレーは当然。言うまでもありません。
一人じゃ試合はできないわけですし、どんなにスゴイ選手でも、試合中はもちろん、練習中でも、いろいろな人の手助けがあって、成り立つのがチームなわけです。
ベンチや試合に出てもライパチくん(ライトで8番)だった私としては、目の前で、改めて「全員野球」なんて言われたら引きますよ。
「全員野球」じゃない野球なんてあるの?
多くは日本のスポーツの指導者としてはありがちの、中心選手だった経験の長い監督やコーチの言葉だったり、あるいはエースで4番のような、今、中心選手の言葉だったりするんではないでしょうか。
つまり、「全員野球」は「全員野球ではないことがありうる」と考えている人からでなければ出て来ない言葉なんですよね。
今、政界からは「全員野球」とか、「一丸となって」とか、そんな声が良く聞こえます。
こういうことを言っている人は、たいてい、チームワークは苦手ではないかと。
多くの人は、言われなくても分かっている、当たり前のことでしょう。
でも、できていない場合も当然にあるわけです。
その場合、前提としては今は「全員野球ではない」「一丸ではない」という原点ですから、
本当ならば、そうなった原因を反省すること(少なくとも分析すること)と、
何のビジョン(旗)の下で一致団結するかを示すことが大事なわけですが、
こういうことを言う人からは、原因や方向性の話を聞くことはあまりない。
言い換えれば、直接「全員野球」と言わなければ、伝わらないようなチームプレーしかできないから、こういう言葉を使うしかないんではないでしょうか。
とにかく、「全員野球」とか、「一丸」とか、そういう言葉を使いたがる人には要注意。
しかし、ジャイアンツは・・・どこまで沢村を見殺しにするのか・・・
もう終盤戦なんだから、明日からは、全員野球でがんばってほしい!
立場や意見は違っているのが当たり前で、その違いから逃げている限りは、本当の意味で、一体感はないのではないかと。
特に日本の政党は、必ずしも政策で同意している人が集まっているわけではないわけで、
私は、そんなメンバーに対してリーダーとなろうとする人からの「全員野球」なんて言葉は非常に空虚に感じています。
そろそろ、こうした表面的な「全員」信仰はやめたほうが良いのではないかと考えています。
私は、政党の代表選挙は「これをしたい!」、「これに同意できる人は、この指とまれ!」で良いのではないかと思うんですよね。
結果的に「全員野球」になるかどうかは、リーダーではなく、メンバーそれぞれが考えることではないでしょうか。
外部からはそうですが内部からと
なると問題、参考になりました。