人にはどうしようもないことが起きるのも常々です。
平静に居ようと、外では、心隠しに、更に集中しようと歩んでいます。
現実とは何と残酷で、すれ違い生じたり、どうして今年の夏にそうなるのとか、疑問視する……。
人間は、蟻のごとき小さき心の持ち主にも思えます。
普通の人々は、夏を大いに楽しく過ごして、よい思い出作りなのでしょう。
折れる小枝のごとき、目を下に向け、それから斜め上に静穏に外ばかり見つめ続けるだけ。
今年の夏、よい思い出は作れないと思っています。
ただただに今ある様々なことに、語れないもどかしさも、
やがては、風になって遠くの空へ吹かれ飛ばされたら、
どんなに癒しになってくれるでしょうか?
ひとりの人間として、透明な水色が、透明な緑色になったら、どんなに楽に居られるのでしょう、おそらく……。
それでも、明日になれば、また歩き続ける私に気づいては、私なりをそれなりにありけりかなぁ。
PS, 久々に抽象的な記事書きました。英語記事は明日に書きます。
平静に居ようと、外では、心隠しに、更に集中しようと歩んでいます。
現実とは何と残酷で、すれ違い生じたり、どうして今年の夏にそうなるのとか、疑問視する……。
人間は、蟻のごとき小さき心の持ち主にも思えます。
普通の人々は、夏を大いに楽しく過ごして、よい思い出作りなのでしょう。
折れる小枝のごとき、目を下に向け、それから斜め上に静穏に外ばかり見つめ続けるだけ。
今年の夏、よい思い出は作れないと思っています。
ただただに今ある様々なことに、語れないもどかしさも、
やがては、風になって遠くの空へ吹かれ飛ばされたら、
どんなに癒しになってくれるでしょうか?
ひとりの人間として、透明な水色が、透明な緑色になったら、どんなに楽に居られるのでしょう、おそらく……。
それでも、明日になれば、また歩き続ける私に気づいては、私なりをそれなりにありけりかなぁ。
PS, 久々に抽象的な記事書きました。英語記事は明日に書きます。