こんにちは
【翻訳商社】マンです
「下訳(したやく)(※)は機械翻訳で十分」
※翻訳の土台となる翻訳
※その後に校正、推敲を重ねる前提のもの
と言われると
賛同できる度合いは別にして
"翻訳をわかってらっしゃるな"
と思います
しかし
「翻訳は機械翻訳で十分」
と言われると
"翻訳をよくご存知でない"
残念ながらそう思ってしまいます
翻訳するときに
何の目的もないことって
ほとんどないと思います
(なかにはそんな趣味をお持ちの方もおられるかもしれませんが…)
翻訳するのは大抵
なにかを伝えたい
伝えた結果こうあってほしい
または
なにかを知りたい
知った上でこうしたい
という目的があるからです
つまり翻訳は
それ自体が目的ではなく
目的に到達するための
ひとつの手段なはずです
冒頭の例
「下訳は機械翻訳で十分」
という台詞は
翻訳の先にある目的
見失っておられないことがわかるので
わかってらっしゃるなと思うのです
一方
「翻訳は機械翻訳で十分」
という台詞は
翻訳すること自体が目的化していて
その先にあるものを見失っている
そう思えるので残念なのです
(必要とする品質レベルが機械翻訳で確保できるから、という場合を除きます)
"何のためにするのか"
忙しいときなどは特に
考えることを忘れがちです
また
自分以外の人から頼まれたことなどは
なぜそうする必要があるのか
確認せぬまま対応することも
あるかと思います
"何のためにするのか"
哲学的かもしれませんが
何をするにしても
常日頃から考えること
大切だと思います
"何のためにするのか"
つまり目的を見失わなければ
そこへ真っすぐ伸びる一本の筋が
いわば体幹のようなものとなり
逸れていないかどうか
常に意識しながら
進む(進める)ことができます
そして目的を見失わないためには
そのさらに先の世界
翻訳を例にすると
自社サイト(HP)を翻訳(多言語化)する
↓
世界中の人たちが自社(サービス)の存在を知る
↓
自社(サービス)のファン(利用者)が増える
↓
自社(サービス)が世の中に役立つ
↓
自社(サービス)の一員(提供者)であることを誇らしく思う
↓
物心両面の幸福につながる
↓
幸せな人生を送ることができる
少々大袈裟ですが
そんな風に頭のなかで描くと
良いのはないでしょうか
斯く言う私【翻訳商社】マンは
翻訳をとおして
世界との円滑なコミュニケーション
そして相互理解を
という経営理念の下に
翻訳サービスの提供に努め
その先に描いているのは
相互理解に基づく
争い(戦争)のない世界
です
子ども地味ているかもしれませんが
いつも忘れないようにしています
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