不定形な文字が空を這う路地裏

夏の記憶・はぐれたシャツの残像








昨日の雨に濡れたままの背の低い草を踏んで
立ち入り禁止の鎖をくぐって道の終わるところまで
時間なんてうんざりするほどあったけれど
一刻の猶予も無いみたいに僕らは走った
『誰も居ないところに行こう』
秘密の裾をはらりとひるがえした君のまなざしが
あの日僕を新しい扉にくくりつけたのだ
なだらかな上り坂
木漏れ日の向こうまで上って行けそうな
風は水平線の匂いがした
まだ無邪気に
互いの指先を遊ばせているだけで終わる夏のはずだった
道の終わるところを目指して走りながら
君の吐息がスタッカートするのにどきどきしていた
足音が
呼吸するのに忙しい心臓の代わりに弾んで
暑さに少しぼんやりした頭で
僕らはまだ見たことの無い僕らについて考えた
それは確かにロマンチックなひらめきだったのだ

道の終わるところに着くと木々は途切れ
切り立った崖の下には溶かしたばかりの絵具のような海があった
わああ、と君はかすれた声をあげて
僕と肩をぶつけながらただならない日向に腰を下ろした
本当に嬉しいときは
黙って目を細めるいつもの君だった
僕らは海と互いを何度も行ったり来たりして
それからようやく何かが始まろうとしている予感を見つけた
それは気まぐれのようになんとなくやって来た
僕らが考えていた
合図とはまったく違った
操られるみたいな始まりだったのだ
不思議なことに僕らはまったくやり方を間違わなかった
昔それを知っていたみたいに
高揚しながらどこかで
知る限りの世界を受け止めて開かれていたんだ
海から吹き付ける風からは水平線の匂いがした

放り出していた君のシャツがつむじ風に奪われ
遥かなところまで飛んで行ってしまったので
君は僕のシャツを着た
汚くないのと尋ねながらけれどどこか嬉しそうに
それを着た君の姿がある種の
契約の象徴のようで
夏に騙されたみたいに僕は感動していた
きっと君もそうだったんだよね
行きには懸命に駆けた道を
帰りには手を取ってゆっくりと歩いた
嬌声が微笑みに変わる夏
立ち入り禁止の鎖の向こうは確かに
木漏れ日の向こうまで続いていたんだ
そんな夏がいつか終わるなんて
僕らは微塵も考えたりしなかった
あの日の蝉は息絶えることなく
今年の夏にも鳴き喚いている

海に行くことは無くなった
真面目さの代償に嘘ばかり吐いて
故郷に帰る切符の代金を忘れた
あの日の鎖をくぐってもきっと
約束の行方は見つけられない
永遠すぎた夏は
鍵の無い閉ざされた檻になって
地下鉄のレールの
リズムに味気無いハミングを乗せた
あの日君が着ていた僕のシャツ
大切にしていたのにどこかへ消えてしまった
目的地で知らない誰かを蹴飛ばしながら降りて
自分の靴音に苛立ちながら出口を目指した

券売機が
あの夏の何かを吸い取って

汚いトイレの個室に隠れて自分の頬を殴ると
個室の壁に書かれたバカという落書きが
その日一番気の利いたものに見えたんだ



僕はどこまで
あの夏を昔に変えてしまっているのだろう?

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