そのあと晴れ間に何を語ろうと俺の知ったことじゃない
気が触れるほど雨の音を怖れて、カーテンを渦巻き官に詰め込んだところで
誰もそれが苦難だなんて認めてくれはしないよ―見た目にはほんの少し変わり者なんだなと
粗末に結論付けられるだけのことだ
俺は数百円で買ったビニールの傘を差して、家からさほど遠くない公園のベンチに腰をかけていた
それははたから見れば頭のおかしい人間のすることに見えただろうが
そのときの俺にはえらくそれが拘らなければいけないことのように思えたんだよ
広場で遊ぶ子供連れが雨を避けて量販店に車を走らせていたから
面と向かって怪訝な顔をされることはなかったけどもね
あいつらは遊べるものなら何でも利用するから…缶でも傘でも虫の屍骸でも
しばらくそうしていると雨が弱くなってきたので
多少の濡れは気にせずに傘をたたんで歩くことにした
春の雨は身体に害を為すことは無いというしね
潜んでいた虫達がアフリカのパーカッションのように騒ぎ出したら
もうすぐ風が吹いて雨が止むだろう
そういうことはたくさん歩いていれば自然と勘づくようになるものさ
本屋に立ち寄って週刊誌を眺めていたら
どこかで見たことのある男が俺の肩を叩いて名前を呼んだ
俺はその男の名前を思い出すことがどうしても出来なかったが
高校の頃に同じクラスに居た男だと言う
そこまで聞いても俺にはまったく心当たりはなかった
自分が高校生だったかどうかも記憶としちゃ怪しいもんだ
まあそんなこんなでそいつと喫茶店に入って
昔のことをあれこれと話したのさ、コーヒーを微妙にアレンジした飲み物を二人ともが頼んで
確かにそいつは俺と同じ出来事をいくつか覚えていて
俺の記憶にところどころ色を塗り直してくれた
俺ときたらそいつのことを思い出そうとすればするほど
他の記憶までぼんやりかすんできちまうという有様だったから
仕事で来てるんだとそいつは言った、誰かに会えないかなと思っていたら君に会えたと
そうかいそりゃよかったところでお前誰だいと俺はもう一度どうしても尋ねたかったが
なんというか懐かしいムードみたいなものに押されてそういうこともあるさと言うに留めた
ところで、さっき、君を実は公園で見かけたんだけど…と少ししてそいつが言い辛そうに言うので
ああ、雨の中で傘を差してベンチに腰を下ろしていたよと俺は丁寧に返事してやった
やつは目を丸くして俺にこう尋ねた、一体全体どうしてそんなことを?
ふむ、と俺は言いながら―(そもそもこいつはなんらかの形であの光景に納得のいく答えが欲しくてこんなことを聞いているのだろうけどしかし俺自身にも何とも例えがたいものをこいつにわかるように説明など出来るわけがないじゃないか)とか考えて
なんか面倒臭くなったので趣味だと答えた
趣味!?とやつは聞き返した
うん、と俺は答えた―ほら、フェチズムみたいなもんでさ、女の靴とか踵とかに興奮する傾向ってあるだろう?俺にとってはそれが雨の日に公園のベンチに腰を下ろすということなのさ―我ながら簡潔な説明だった
本当にそうかどうかなんてことはどうでもいいんだ、だってなかなかよく出来ていたから
は、はあ、とやつは生返事をして俺から目をそらし、腕時計を見たりおしぼりでテーブルを拭いたりした
仕事で来てるって言ってたな、気の毒になったので俺は助け舟を出した
ああ、ああ、そうなんだ、やつは思い出したように何度も頷いた、もう行かなくちゃ
うん、と俺は頷いてまたどこかで、と言った。ああ、君も元気でと言いながらやつはまた時計を見た
雨も止んだようだね、それがやつの最後の言葉だった
俺も自分の勘定を済ませて外へ出た、さっきまでの雨が嘘のように空は晴れ上がり、清々しい風が公園を吹きぬけていた
俺は穏やかな気分で公園をゆっくりと時間をかけて歩いた
それにしてもあいつ、誰だったかな、卒業アルバムはとっくに捨ててしまっているし…
まあ、そのあと
そいつが晴れ間に何を語ろうと俺の知ったことじゃない
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