以下 2010年2月23日記録
相変わらず苦しい呼吸に悩まされながらも時は経過していった。
それでも症状はいくらか落ち着いて
脈拍は80代に下がることが多くなった。
2月23日は1カ月検診だった。
医者に到着してすぐに5つの検査を受けた。
① 採血
② 心電図
③ レントゲン
④ CT(単純)
⑤ エコー
検査が終わってYドクターの診察室の前で待った。
この検診をクリアできれば、後は1年後と聞いていた。
その前に足に関するアンケートに答え、
アドバイスを希望していたのでナースのアドバイスがあった。
私の足には長さ25センチ以上の術痕がある。
(バイパス術の血管を取った)
神経が切れたのか、殆ど感覚の無い部位がある。
足の切断にもなりかねないので血行をよくする
運動などをするようにとの指示でした。
(何だかいつも脅されているような気がした)
それからしばらくしていつもの執刀主治医の診察が始まった。
私は夫の指示で血圧測定、体重測定、脈拍をはかっていた記録を
PCのエクセルに落としていた。
分かりやすいと思ったので印刷していた。
それを医師に渡した。
医師は言った!
こんなことしなくて良いんだ!
あなたは神経質すぎる。
もっとおおらかに生きなさい!
ねえ、空蝉さん、人間死ぬときは死ぬのよ!
一度は死ぬのよ。
良いじゃない!
せっかく助けていただいた命だし…
医師の前で決して口にしてはいけないと思っていた「死」
医師の口から聞いてしまった。
私は思わず笑って頷きました。
私の夫はどうやっても私を管理したい。
しないではいられない40年間だった。
こうなった原因にもこの性癖が絡んでいる。
(先生、神経質なのは夫です!)
「それより肝臓の数値が悪くなってる。
入院です!!!
治療のため2週間を予定します」
にゅ、入院???
「今入院できません。娘が病気になり介護が必要になりました」
「……では、今日は注射を2本打って帰ってください」
そういって、次週の予約を入れた。
自分の予約はいっぱいなので別の医師に予約します。
どの薬が肝臓に影響したか分からないので薬を総入れ替えしますと言われ
ワーファリンとさよならした。
名医で名高いこの医師の指示を拒絶する私も相当であるが…
私の介護と娘の介護でテンパッている夫の気持ちを汲んだ
夫はもう持ちそうにないと思った。
娘の病気はストレス性で自身の体を攻撃する免疫異常の病気である。
未だはっきりとした診断はくだっていない。
娘の病気は私の入院とほぼ同時期に発症した。
これはもう私の人生じゃない気がする
人生にここまでの窮地があるんだ・・・・・
※ 資料を繰ってみると本当に肝臓の数値が全面的に
ものすごい高い数値でボロボロ。笑える!
(2019.2.23記)
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