草庵の記

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私の体はサイボーグ

国際裁判調査委員会での話

2022-06-05 16:02:40 | 国際裁判

Chihiro Sato-Schuh様よりシェアさせていただいております

【悪魔の誘惑】
 
6月3日に行われたフュルミヒ弁護士たちの調査委員会で、ローマ・カトリックのカルロ・マリア・ヴィガノ大司教が、「地下の教会 deep church」について語っていた。
 
この2年半ほどで、多くの国の政府は国民の意志でなど動いてはおらず、表からは見えない闇の勢力に乗っ取られ、操られていることがはっきりしてしまった。その操っている闇の人々のことを私たちはディープ・ステート(地下の政府)と呼んでいるわけなのだけれど、これと同じものがカトリック教会にもあると、ヴィガノ大司教はいうのだ。
 
「地下の政府」も「地下の教会」もつまりは同じものだ。どちらもお金の流れから根っこをたどっていけば、同じ名前に行き着く。世界中のメディアや政党に資金を出しているのはいくつかの同じ財団であり、それを操っているのは、さらに少数の国際的な資産運用会社だ。
 
つまるところ、ごく少数のグローバル金融エリートたちがディープ・ステートもディープ・チャーチも操っていることになる。
 
ヴィガノ大司教は、アメリカのセオドア・マキャリック枢機卿の神学校の生徒たちに対する性的虐待行為を法王が放置していたことを批判する公開状を出して有名になったのだけれど、そのおかげで主流メディアなどからは陰謀論者扱いされることになってしまった。
 
アメリカにかぎらず世界中で、神学校の男の子たちが性的虐待を受ける事件は続出しており、マキャリック枢機卿の件も告発があって知られていたのにもかかわらず、法王は何の処分もしようとしなかったというのだ。
 
それについてヴィガノ大司教は2018年に公開状を出して批判した。
聖職者による神学生の性的虐待は、昔からよくあったようなことではある。しかし問題なのは、それを当時の法王ヨハネ・パウロ2世がもみ消していたということなのだ。
 
その後ベネディクト16世が法王になり、マキャリック枢機卿を退任させることになる。ところがそのベネディクト16世は、2013年に異例にも生きているうちに自分から法王を座を降りた。
 
そのあとに法王の座に就いたフランシスコは、「地下の教会」のマリオネットにすぎず、ディープステートのマリオネットであるジョー・バイデンとまったく同じだと、ヴィガノ大司教は言う。
 
「地下の教会」は200年も前からカトリック教会に入り込んできていて、徐々に腐敗させていったのだそうだ。お金や誘惑や脅しなどありとあらゆる手を使って、腐敗に誘い込まれるが、一度それに手を出してしまったら、脅しが利く人間になってしまう。スキャンダルを表に出すと脅されたら、何でも言われた通りに従うようになってしまう。
 
そうやって一度道を踏み外して、キリストの精神から離れてしまったら、他の人にも教義を守るようには言えなくなる。そうやって聖職者たちの頽廃が進んでいき、キリストの教えはあまり現実的ではない、描かれた理想であるかのように扱われるようになってしまったのだという。
 
そして、カトリックの教義は単に理論的なものとしてだけ語られて、それが日常の生活の中で守られなくても当たり前であり、欲望や誘惑に負けるのも許されるというような考えが広まってしまったのだとヴィガノ大司教は言っていた。
 
そうした状況の中で、20年から30年の間に、まともな聖職者はどんどん外と追いやられていき、腐敗した人物に教会のすべての主要なポストが占められるようになってしまったという。
 
ヴィガノ大司教は、権威の人間が倫理的に行動することにしか、この状態から脱出する道はない、という。つまり、キリスト教の原点に戻って、イエス・キリストとの魂のつながりを取り戻すことが唯一の道だというのだ。
 
フランス革命の前までは、権力は信仰と深いつながりを持っていて、権力は神のものだから、一心に人々のために献身するべきだという意識があったのだとヴィガノ大司教は言っていた。
 
このことは、大衆心理の専門家のデスメット教授が、5月19日の大陪審7日目の証言で、フランス革命もまた大衆心理操作によって作り出された集団狂気で引き起こされたと言っていたことと符号する。
 
フランス革命では、フランス王家が人民の共通の敵として残虐極まる攻撃の対象になったわけだけれど、それも実はフランスの民衆の意志であったというよりは、意図的に作り出された虚構の物語によって煽られていたにすぎなかったということになる。
 
王家や貴族についてあることないことが語られて、王侯貴族たちを皆殺しにするべきだというところまで掻き立てられてしまったのだ。
 
この2年ほどで、筋の通らないような馬鹿げたホラー話でも、しかるべき煽られ方をしたら、多くの人々はすっかり信じ込んでしまって疑わなくなるということを見てきたから、そんなこともあり得る話だと今は思える。
 
共通の敵が目の前にいるから、皆で戦わなければならないという話を信じさせることができれば、人々は言われるままに集団でありとある残虐なことをしてしまうのだ。
 
そして、まさにその原理を使って、政権を交代させるということがこの200年間、世界中で何度も行われてきたのだ。してみれば、民主主義というものも、実のところは大衆操作によってどうにでもすることができる国家の形として導入されたようなものだったのかもしれない。
 
フランス革命のときに、大衆を操って王政を崩壊させることに成功したあとで、もはや神の力とつながった権力というものはなくなり、国家は容易に腐敗させてしまえるようなものになってしまったとも言えるわけだ。
 
私たちは、つねに権威の人間を信頼するように言われてきた。親や教師、神父、医師、法律家、学者といった人たちをだ。だから、権威の人間を腐敗させ、操れるようにしてしまったら、人々を集団で支配できてしまうのだと、ヴィガノ大司教は言っていた。
 
だから、人々が権威の人間を信頼できるように、権威の人々が倫理的な価値を取り戻すしかないのだと。
 
しかし、今のような事態になって、私たちはもはや権威の人を盲目的に信頼してはいられなくなった。生き延びていくためにも、一人一人がスピリチュアルな力と魂のつながりを持つことが、必要になってきたのだ。
 
フランス革命で王政の時代が終わってからの200年、私たちはまさにこのプロセスを進んできたと言えるのかもしれない。200年前から、あらゆる権威は腐敗にさらされ、信頼することができなくなっていったのだ。
 
権威を鵜呑みにしていたら、大衆心理操作に取り込まれて、何もかも犠牲にして戦わされるようなはめになる。ありとある革命や二回にもわたる世界大戦で、人類はこの200年間、ありとある残虐、ありとある破壊を経験してきた。そしてそのほとんどが、こうした大衆操作によって、引き起こされていたことだったのだ。
 
まったくヴィガノ大司教の言う通りだと思う、とインタビューが終わったあとで、フュルミヒ弁護士は言っていた。
 
最終的にはスピリチュアルな力によるしかないというのは、まったく同じ意見だと。そう言ったときのフュルミヒ弁護士の顔が、妙に明るくすっきりしているのに、私は驚いた。インタビューをしていたフィッシャー弁護士も、やはり同じ顔つきになっていた。
 
これは神の愛の力を感じた顔だ、と私は思った。フィッシャー弁護士は大叔父がカトリックの神父で、ナチスドイツを批判して強制収容所に入れられ、そこで亡くなっているので、キリスト教には特別な思い入れがある。
 
それに対してフュルミヒ弁護士は、形式通りにしないといけないのが嫌いで、キリスト教会は脱退してしまったくらいだ。だけど二人とも、何か大きな神の力に触れたようなすっきりと明るい顔をしていた。神の赦しの力だ。すべてを赦す神の果てしない愛の力に触れたのだ、とその顔を見て、私は思った。
 
ヴィガノ大司教の発言によって、カトリック教会のおぞましい犯罪が表に出てきたのだけれど、キリストの精神に立ち戻っていくことが唯一の救いだということを彼が語ったとき、こんな悪魔的な犯罪すらも、無条件の愛である神は赦すことができるのだということを感じたのだ。
 
カトリック教会内部の悪魔的な行為については、いろいろな恐ろしい話が取りざたされてきたけれど、ヴィガノ大司教がまっすぐに核心をとらえてそれを表に出したとき、そんなことさえも神の大きな見地からしたら、いくらでもやり直しができるような間違いにすぎないのだと思えた。その大きな愛を感じた。
 
実際、間違っていたことを認めさえすれば、人間はいつでもやり直すことができる。新しい人生を歩む気になれば、その力を神はいつでも与えてくれるのだ。神がすべての罪を赦すというのは、つまるところそのことに他ならないのだということを、そのとき私は理解した。
 
この数十年、あるいはこの200年ほど、キリスト教会は悪魔の誘惑を受け、堕落を経験してきたのだと言える。しかしそのおかげで、宗教的権威に頼るのをやめ、自分でキリストの精神や神、スピリチュアルな根源の力に自分でつながろうとしてきたのであれば、それにも大きな意味があったのじゃないかと思う。
 
200年前、宗教も王侯貴族も、本当の意味での権威というものが消えてなくなり、腐敗に侵食されて、どんな権威も頼ることができなくなった。ある特権階級が、権力を授かる代わりに人々に対して責任を取り、自分を犠牲にして生きるというのが、200年前まではあった権威の形だったわけなのだけれど、私たちはそこへ戻っていくわけではないのだと思う。
 
そうではなく、私たちは一人一人が宇宙の根源の力につながって、自分自身に対して責任を持って生きていくようになるのだ。それこそは本当の意味でのピラミッド型の支配構造の終焉なのだけれど、実のところ、そのプロセスはすでに200年前から始まっていたことだったのだ。
 

 

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