草庵の記

弓部大動脈、腹部大動脈、腸骨動脈、冠動脈にステント11本。
私の体はサイボーグ

国際裁判7日目

2022-06-02 14:51:04 | 国際裁判

Satoさまよりシェアさせていただきました。

【メディアの犯罪】
 
フュルミヒ弁護士たちの大陪審の7日目が、5月19日に行われた。この日のテーマは、「心理学とプロパガンダ」ということで、大衆心理操作についての証言があった。
 
大陪審は2月に6回にわたって行われ、世界中のさまざまな専門家たちが証言した。その後しばらく時間をおいてから、結論の弁論と評決が行われるという話だったのだけれど、2ヶ月半ほど経って、評決の前に補足の証言が行われることになったのだ。
 
これまでの証言で、このパンデミックは、グローバル金融エリートたちによって計画的に演出されたものだったということがはっきりした。きわめて感染力の強い致命的な感染症が発生したという話が世界中のメディアで伝えられたのだけれど、これが実はまったく実態のないもので、偽陽性を大量に作り出す検査法によって感染症例が捏造され、過剰な治療によって重症化の例や死亡例が作り出されていたことがわかったのだ。
 
その目的は、感染対策を口実にして人々の行動を制限し、経済的な自立性を破壊することで、全体主義的な管理社会を導入することであり、また感染を予防するとされる薬剤を注射させることにより、人口を削減し、人々の免疫力を低下させて支配しやすい状態にするためだったことも、これまでの証言で浮かび上がってきた。
 
これは計画的なジェノサイドというべきもので、明らかに人道に対する罪であるという弁護士たちの当初の主張は、これまでの証言で明確に裏づけられたと言えると思う。
 
ところで、世界中の多くの人々は、恐ろしいウィルスから身を守るためにすべてを犠牲にしなければならないという作り出された物語をすっかり信じていて、現実にはそれとは逆のことが起こっているのにもかかわらず、気がつこうとしていないという事実がある。
 
実際には、感染症そのものよりも、感染予防のための対策による被害の方が甚大になっていて、感染予防のためにと注射している薬剤による死者が続出しているのにもかかわらず、多くの人はそれを認識できないかのようなのだ。
 
これについて、ベルギーの心理学者マティアス・デスメット教授は、これは大衆形成(mass formation)という現象で、これまでの歴史でも何度も起こったことなのだと語っていた。
 
大衆形成というのは、意図的に作り出される集団狂気の状態で、あるイデオロギーの物語を多くの人が信じてしまい、現実が認識できなくなる現象をいうのだそうだ。十字軍や魔女狩り、フランス革命などもそうした大衆形成による現象で、大衆形成に巻き込まれた人々は、語られる物語から距離が取れなくなり、現実がわからなくなってしまう。
 
そして、イデオロギーの理想のためにはすべてを犠牲にするような行動を取り、敵とされる対象に対して、極端な不寛容さを示すのだという。
 
集団狂気は自然発生的に起こることもあり、16世紀にストラスブールで起きた舞踏病のような例もある。ある一人の女性が街中で踊り出したのをきっかけに、多くの人々が踊り狂い始め、倒れて死ぬ人が次々と現れたのに、人々は何週間も踊り続けたのだそうだ。このように自然発生的に起こる場合は、大衆形成ではなく集団ヒステリーといっているそうだ。
 
これに対して、大衆形成は意図的に作られるものをいう。ロシア革命のときには、共産主義のエリートたちが、プロパガンダを広めることで、大衆形成を作り出し、大衆運動へと発展させた。
 
ドイツのナチも、同様に大衆形成で作り出された。マスメディアの発達により、この100年くらいは、少数のエリートだけで大勢の人々を操作することが可能になった。
 
このような集団狂気の状態は、絶えず虚構の物語を語っていないと持続しないのだけれど、この30年ほどは、マスメディアによってこれが可能になり、大衆形成が長続きするようになったのだとデスメット教授は言っていた。
 
人々が社会的に孤立しているほど、メディアが語る物語に取り込まれやすくなるので、個々人が孤立していることが、大衆形成ができるには必要な条件なのだという。
 
家庭が核家族したことで、人々はより孤立するようになった。スターリンなどもそうだけれど、全体主義者たちは、ほとんど直感的に人々を孤立させるように仕向けるのだとデスメット教授は言っていた。孤立していた方が、人は支配しやすくなるからなのだと。
 
孤立していると、人は現実から離れてしまい、人生には意味がないという感覚にとらわれやすくなる。それにより漠たる不安を感じ、フラストレーションを抱えるようになる。
 
この状態だと、ある種の敵を想定する虚構の物語が語られたとき、自分が抱える得体の知れない不安にはけ口が与えられたような形になり、たとえ筋が通っていなくても、その物語を信じてしまうのだという。
 
このようにして、十字軍のときにはトルコ人が悪者にされ、フランス革命ではアンシャン・レジームが共通の敵にされた。
 
集団で同じ敵に攻撃性を向けることで、人々は再び集団とのつながりを感じることができる。けれども、これはともに攻撃性を向けることでだけできるつながりなので、個々人の間の関わりは薄い。なので、個々人はより孤独になっていくという悪循環がある。
 
一つの物語では、永遠に集団を駆り立てることはできないので、次々と新しい物語が必要になる。新しい恐怖の素を与えることにより、集団を操作し続けることができる。
 
2年間ウィルスの恐怖の物語で大衆を操ってきたのが、ウクライナの戦争が始まってロシアの脅威の物語に変わったのは、まさにそうした例なのだとデスメット教授は言っていた。
 
催眠術師は、ある一点に相手の意識を引きつけることで、その人にとって外の世界が存在しないかのような心理状態を作り出すのだけれど、このようなやり方で、外科手術をしても痛みを感じない状態にすることも可能なのだそうだ。リエージュの大学では、こうした手術がいつも行われているという。
 
それと同じ原理で、大衆形成を作ろうと思ったら、ある一点に人の意識のすべてを向けさせるのだそうだ。それがつまり、恐ろしいウィルスであり、ロシアだということになる。
 
大衆形成の状態が続くと、与えられた物語以外のことが一切信じられなくなってしまい、しまいには他の現実を示そうとする人間を殺さなければならないように感じるところまで行ってしまうという。そうしたことは、ナチのときにもスターリンの時代にも、何度もあったことなのだと。
 
大衆形成で洗脳されてしまった人を目覚めさせることはほとんどできないと、デスメット教授は言っていた。非常にうまく話をもっていけば、あるいは目覚めさせることもできるけれど、ほとんど不可能だと。
 
だから、相手が真実に目覚めることは期待しない方がいいけれど、ただ異なる見解を発信する人がいると、洗脳プロセスを妨げることになるため、洗脳がさらに深くなっていくのを防ぐことができる。
 
だから私たちは、たとえ取り込まれた人たちが目覚めなくても、発信し続けるべきなのだと、デスメット教授は言っていた。他の見解を発信する人がいなくなったとたんに、全体主義への流れは歯止めが効かなくなってしまうのだから、と。
 
ニューヨーク大学のメディア専門家のマーク・ミラー教授は、「世界のすべてのメディアが加担していなかったら、パンデミックは起こらなかった」と言っていた。90%のメディアが、ウィルスの恐怖についての同じ物語を報道していたのだという。これにより、世界中の人々に同じ物語を信じさせ、同じ行動に駆り立てることに成功してしまったわけなのだ。
 
政府の支配力が強くなり過ぎないためにこそ、メディアの自由は重要だ。メディアには真実を伝える責任があるし、政府の見解に偏り過ぎないように、さまざまな見解を伝える必要がある。
 
これまではいわゆる左派のメディアが、政府に批判的な見解を伝える役割を担っていたけれど、ここ数年は、左派メディアも同じ路線の物語しか伝えないようになった。そのため、オルタナティブな見解を求めるために、ネットなどの別なメディアを探さなければならなくなっている。
 
昔は新聞社は、新聞を売って採算が取れたから、独自の路線でやっていくことができたのだけれど、今は購読料だけでは経営することができず、宣伝収入に頼らなければならなくなっている。
 
昔は、メディアは読者に対して忠実であればよかったわけなのだけれど、今は読者よりも広告主に左右されるようなことになっている。数年前からゲイツ財団が世界中のメディアに融資していて、メディアはゲイツ財団のお金がなければ経営していけない状態になっている。そのため世界中の90%のメディアがパンデミックについてまったく同じ物語を語るというような事態が起こったのだ。
 
テレビや新聞などは、かつてのようにジャーナリストたちに独自に調査させるようなことは経営上できなくなっており、ニュースエージェントから送られてくる情報をそのまま報道するようなことになっている。
 
独自に調査して真実を伝えるべきだというようなことは、もうジャーナリズムの学校でも教えていないし、そうした仕事にはお金が出ないので、あえてやろうという人はほとんどいなくなっているのだそうだ。
 
ある物語を浸透させるために、異なる見解の相手と議論するのではなく、相手のことをただ悪く言い続けるのだとミラー教授は言っていた。第一次世界大戦のとき、イギリスが最初にしたことは、大西洋に船を出してドイツとアメリカの間をつないでいた通信ケーブルを切断することだったのだそうだ。
 
その上で、ドイツ人が残虐行為を行ったという物語をあることないこと語り始めた。これによって、ドイツに対する敵対意識を駆り立てたというのだけれど、まさに同じことを今、ロシアに対してやっているわけだ。
 
大きな嘘の方が簡単に相手を騙すことができる、ということがある。すぐに嘘だとわかるようなことだと、それは嘘ではないですかと言うのは相手に恥をかかせることになってしまうから、嘘を指摘することが難しくなってしまうからなのだとミラー教授は言っていた。
 
ウィルスの恐怖にしても、感染予防の薬剤のことにしても、あまりにひどいあまりに見え透いた嘘がまかり通ってしまったのは、まさにそれ故なのだろう。
 
死亡記事にしても、この頃は「予想外に死亡した」と書かれるケースが激増しているけれど、予想外の死というのは、かつては自殺かあるいはドラッグのやり過ぎと決まっていた。死因がまったく書いていないことも多い。死因が書かれないなどということは、かつてはよほどの高齢者が老衰で亡くなったようなときだけだった。感染予防の注射のせいで亡くなったということを書かないのだ。
 
元プロ野球選手のハンク・アレンは、注射を打って17日後に亡くなったのだけれど、これは黒人たちは医療機関を信用していなくて、多くは注射を打とうとしなかったため、何とか彼らに注射を打たせるために、有名人に打たせて宣伝しようとしたからだったのだそうだ。
 
亡くなった17日前に注射を打っていたけれど、検死解剖の結果、注射とは無関係だったことが判明したと報道されていた。
 
それについてロバート・ケネディ・ジュニアが調べたところ、検死などまったく行われていなかったことが判明した。それでメディアに抗議したけれど、メディアは報道を訂正しもしないし、何の返答もしなかったそうだ。
 
万事がそういった具合で、あとで嘘が暴露しても、訂正もしなければ、嘘だったことを認めもしない、とミラー教授は言っていた。
 
この日は最後に、PCR検査についてウルリケ・ケメラー教授から補足の証言があった。武漢では、PCRで陽性とされた人をウィルス培養検査したところ、無症状だった人は全員陰性だった。
 
症状のあった人のうち57%はインフルエンザにも感染していたことがわかった。死亡者はほとんどが高齢者で、すでに重い病気があった人たちで、このような人たちが末期にいくつものウィルスやバクテリアに感染して肺炎になるのは、これまでも当たり前にあったことで、何ら特別なことではない、とケメラー教授は言っていた。
 
つまり、無症状でも人に感染させる危険があるというのはまったく根拠のないことで、無症状の人たちをスクリーニング検査するのは、人をパニックに陥れる以外の何の意味もないことだと言える、と。
 
大陪審はこのあと2週間ほどしてまた行われ、結論と評決がある予定だそうだ。この大陪審は、このパンデミックの大犯罪の全体像をコンパクトに示すことで、それぞれが自分で判断し、しかるべく対処することができるようにすることを目的として開催されたのだけれど、ここまで来て、非常に深い世界の闇が表に出てきた感がある。
 
実際、これまで100年以上もの間、こうした闇は表面から隠されて、私たちは騙され続けてきたわけなのだ。それが今、そのすべてをこうして見て取ることができる。
 
今もメディアは嘘を報道し続けていて、それに取り込まれる人たちがいて、一体こうした事態がいつまで続くのかわからないのだけれど、虚構による狂気は永遠に続くものではない。
 
自然環境にも私たち人間の身体にも、自然治癒力というものがあるように、作られた狂気はいずれ分解されて、バランスが取り戻されていくのが宇宙の法則なのだと思う。
 

 


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