楽しみに読んでいた山陽新聞連載「孤城春たり」(澤田瞳子著)が完結を迎えようとしています。周囲の人物を書くことによって山田方谷という人物が見えてくるという手法で、脳が衰えつつある身としては何度も読み返しながらも最後まで読み続けることができました。
私の生まれ故郷では、山田方谷を知らぬ人はいないくらいなのに、どんなに偉い人なのかというと「大借金をかかえていた松山藩を立て直した人」というだけで、幼心にそれがどうして後世まで称えられ駅名や橋の名前(方谷橋)などあちこちに残っているほどなのか、合点がいきませんでした。
また、以前山陽カルチャーの花の文化史で知り合った方が、備中松山藩の藩主水谷(みずのや)公の親戚筋にあたるということで、興味深いお話を聞かせていただいたこともあります。板倉勝静の親衛隊長で自刃した熊田恰のお墓が、私の実家の菩提寺定林寺の下にある日蓮宗の道源寺にあるそうです。それだけにこの連載に期待してもいました。
民主主義の現代の価値観とは異なっていますが、熊田恰が自刃することによって藩兵150名の命と玉島を戦火から救ったことは、今も「熊田様」という名前の和菓子(玉島の玉井堂という和菓子屋)として残っています。
最近では数日前の連載中にあった「痛みも過ちも失策もー人の来し方はみなすべてこれ明日からの歩みの肥しじゃ」という安正寺の住持の言葉は胸に響きました。
私は、途中でダウンしてしまいました。人物が錯綜してしまい、理解しにくくなってしまったのです。情けないことです。本になったら図書館で借りて読むことにしましょう。
あなたとお話しするために!
私も何度挫折しかかりました。読み続けられたのは、やはり幼い時から多少興味があり、いろいろな場面で、記憶にある場所や物が出て来て、懐かしさも感じながら読めたからかもしれません。でも、名前がこんがらがって・・・年をとるって悔しいですね。