カワイイ文化とネオテニーとの関係性について考察してみたエントリーが、2014年10月3日か。記憶が確かなら、その後も遠回しに触れて来てはいたけど、あれ以上の深入りをしないまま、この議論はほとんど3年以上放置だったことになる。
カワイイ文化とネオテニー
あん時の「作業仮説」は、ネオテニーの文化表現としてカワイイは立ち現れる、というものだったけど、それだけだと言ったもん勝ちというか、まともな議論になっているとは言いがたい。
まずは出発点として、ネオテニーが進化論における最適戦略の一形態であるとする仮説を受け入れることにする。その上で、そこに比定すべきものとしての日本文化を再定義してみる。つまりは日本文化もまた、最適戦略の一形態として解釈できるのかどうか。もちろんそこは、ダークサイドとしての優生学に堕しないように、注意深く議論を組み立てる必要があることは言うまでもない。
日本文化生成の必要条件として、既に平和ということが提示してある。では、なぜ日本は「比較平和」だったのか、そうあり続けたのか。こちらの議論は既にして解答が存在していて、日本列島の地政学的な存在様式で説明できることになる。つまりは、日本が温暖湿潤気候区に存在する、適度な大きさを有する島嶼国家であり、様々な自然条件に恵まれ、かつ大陸との距離が近すぎず遠すぎなかったこと。結果、過度にならない外乱がありつつも、殺戮と破壊と略奪から免れることができた。それは創発を容易に誘発するという条件設定にもなってると思われる。
実際の日本の歴史を振り返っても、どうやら縄文時代から、緩やかだけど自己組織化共同体が形成されていたくさいし、現在にまで連綿と繋がる「日本」という国体にしても、白村江の敗戦と百済の滅亡という外乱から創発されてるとみなせる。その後の元寇においても、明治維新においても、敗戦においても、この基本的条件はほぼ保たれてきたと考えられるし、そこから醸成されてきたであろう行動規範的なものは、驚くほど保存されて来てると思われる。
この地政学的な条件が、日本文化をして秩序指向を可能にし、苛烈すぎない淘汰圧を持続し、そこに生成された日本文化に最適戦略を採用することを可能にしたと考えることには、十分な妥当性があるのではないか。
とすれば、そこにネオテニーと通底する戦略であるところのカワイイ文化が出現するというのは、進化論と同様にして、確率論に依拠するような現象と見なせ得るのではないか。そしてそこに居住する日本人自体が、人類の中でもっともネオテニーを体現しているのだとすれば、正にその身体的な特徴や容貌に伴う共鳴現象が、そこに惹起されることで、カワイイ文化の出現確率は飛躍的に高まったのではないか。
例によって議論が錯綜かつ飛躍してるので、取り敢えずの仮説のまとめ。日本列島の地政学的な条件が、豊穣と平和を担保し、秩序指向を可能とした。その歴史を通じて、苛烈すぎない外乱と創発が加わり続け、適度な淘汰圧となった。日本人の身体的特徴や容貌が、進化論的ネオテニーを体現していた。以上のような条件設定の元で、世界に類例を見ないカワイイ文化が創出された。
以上の仮説は対偶も取れるわけで、カワイイ文化が日本以外では生まれなかったことの説明ともなる。
カワイイ文化とネオテニー
あん時の「作業仮説」は、ネオテニーの文化表現としてカワイイは立ち現れる、というものだったけど、それだけだと言ったもん勝ちというか、まともな議論になっているとは言いがたい。
まずは出発点として、ネオテニーが進化論における最適戦略の一形態であるとする仮説を受け入れることにする。その上で、そこに比定すべきものとしての日本文化を再定義してみる。つまりは日本文化もまた、最適戦略の一形態として解釈できるのかどうか。もちろんそこは、ダークサイドとしての優生学に堕しないように、注意深く議論を組み立てる必要があることは言うまでもない。
日本文化生成の必要条件として、既に平和ということが提示してある。では、なぜ日本は「比較平和」だったのか、そうあり続けたのか。こちらの議論は既にして解答が存在していて、日本列島の地政学的な存在様式で説明できることになる。つまりは、日本が温暖湿潤気候区に存在する、適度な大きさを有する島嶼国家であり、様々な自然条件に恵まれ、かつ大陸との距離が近すぎず遠すぎなかったこと。結果、過度にならない外乱がありつつも、殺戮と破壊と略奪から免れることができた。それは創発を容易に誘発するという条件設定にもなってると思われる。
実際の日本の歴史を振り返っても、どうやら縄文時代から、緩やかだけど自己組織化共同体が形成されていたくさいし、現在にまで連綿と繋がる「日本」という国体にしても、白村江の敗戦と百済の滅亡という外乱から創発されてるとみなせる。その後の元寇においても、明治維新においても、敗戦においても、この基本的条件はほぼ保たれてきたと考えられるし、そこから醸成されてきたであろう行動規範的なものは、驚くほど保存されて来てると思われる。
この地政学的な条件が、日本文化をして秩序指向を可能にし、苛烈すぎない淘汰圧を持続し、そこに生成された日本文化に最適戦略を採用することを可能にしたと考えることには、十分な妥当性があるのではないか。
とすれば、そこにネオテニーと通底する戦略であるところのカワイイ文化が出現するというのは、進化論と同様にして、確率論に依拠するような現象と見なせ得るのではないか。そしてそこに居住する日本人自体が、人類の中でもっともネオテニーを体現しているのだとすれば、正にその身体的な特徴や容貌に伴う共鳴現象が、そこに惹起されることで、カワイイ文化の出現確率は飛躍的に高まったのではないか。
例によって議論が錯綜かつ飛躍してるので、取り敢えずの仮説のまとめ。日本列島の地政学的な条件が、豊穣と平和を担保し、秩序指向を可能とした。その歴史を通じて、苛烈すぎない外乱と創発が加わり続け、適度な淘汰圧となった。日本人の身体的特徴や容貌が、進化論的ネオテニーを体現していた。以上のような条件設定の元で、世界に類例を見ないカワイイ文化が創出された。
以上の仮説は対偶も取れるわけで、カワイイ文化が日本以外では生まれなかったことの説明ともなる。