AKB48の旅

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カワイイ文化と地政学

2017年10月16日 | AKB
カワイイ文化とネオテニーとの関係性について考察してみたエントリーが、2014年10月3日か。記憶が確かなら、その後も遠回しに触れて来てはいたけど、あれ以上の深入りをしないまま、この議論はほとんど3年以上放置だったことになる。

カワイイ文化とネオテニー

あん時の「作業仮説」は、ネオテニーの文化表現としてカワイイは立ち現れる、というものだったけど、それだけだと言ったもん勝ちというか、まともな議論になっているとは言いがたい。

まずは出発点として、ネオテニーが進化論における最適戦略の一形態であるとする仮説を受け入れることにする。その上で、そこに比定すべきものとしての日本文化を再定義してみる。つまりは日本文化もまた、最適戦略の一形態として解釈できるのかどうか。もちろんそこは、ダークサイドとしての優生学に堕しないように、注意深く議論を組み立てる必要があることは言うまでもない。

日本文化生成の必要条件として、既に平和ということが提示してある。では、なぜ日本は「比較平和」だったのか、そうあり続けたのか。こちらの議論は既にして解答が存在していて、日本列島の地政学的な存在様式で説明できることになる。つまりは、日本が温暖湿潤気候区に存在する、適度な大きさを有する島嶼国家であり、様々な自然条件に恵まれ、かつ大陸との距離が近すぎず遠すぎなかったこと。結果、過度にならない外乱がありつつも、殺戮と破壊と略奪から免れることができた。それは創発を容易に誘発するという条件設定にもなってると思われる。

実際の日本の歴史を振り返っても、どうやら縄文時代から、緩やかだけど自己組織化共同体が形成されていたくさいし、現在にまで連綿と繋がる「日本」という国体にしても、白村江の敗戦と百済の滅亡という外乱から創発されてるとみなせる。その後の元寇においても、明治維新においても、敗戦においても、この基本的条件はほぼ保たれてきたと考えられるし、そこから醸成されてきたであろう行動規範的なものは、驚くほど保存されて来てると思われる。

この地政学的な条件が、日本文化をして秩序指向を可能にし、苛烈すぎない淘汰圧を持続し、そこに生成された日本文化に最適戦略を採用することを可能にしたと考えることには、十分な妥当性があるのではないか。

とすれば、そこにネオテニーと通底する戦略であるところのカワイイ文化が出現するというのは、進化論と同様にして、確率論に依拠するような現象と見なせ得るのではないか。そしてそこに居住する日本人自体が、人類の中でもっともネオテニーを体現しているのだとすれば、正にその身体的な特徴や容貌に伴う共鳴現象が、そこに惹起されることで、カワイイ文化の出現確率は飛躍的に高まったのではないか。

例によって議論が錯綜かつ飛躍してるので、取り敢えずの仮説のまとめ。日本列島の地政学的な条件が、豊穣と平和を担保し、秩序指向を可能とした。その歴史を通じて、苛烈すぎない外乱と創発が加わり続け、適度な淘汰圧となった。日本人の身体的特徴や容貌が、進化論的ネオテニーを体現していた。以上のような条件設定の元で、世界に類例を見ないカワイイ文化が創出された。

以上の仮説は対偶も取れるわけで、カワイイ文化が日本以外では生まれなかったことの説明ともなる。




野澤玲奈〈AKB48〉「逆輸入」という個性が強み

2017年10月15日 | AKB
野澤玲奈〈AKB48〉「逆輸入」という個性が強み

ジャカルタの日本人向け新聞にオーディションの告知が載ったんですが、当時ダンスや器械体操を習っていた私は「新しいダンス教室ができるんだろう」と思い込んで受けてしまったんです。インターナショナルスクールに通っていたのでインドネシア語が分からず、オーディション会場で係の人が何を言っているのか理解できないまま、「あれ? なんかおかしいな」と感じつつ審査が終わりました。

 受かった1期生は大々的に会見を開くことになり、私は日本人ということで大注目を浴びました。ダンス教室のつもりでしたからとても驚いてしまって、会見のあと写真撮影の場所へ向かうバスの中で「こんなのもう無理! やめたい!」と泣きました。


例によって、無料登録で全文読めるんで、とエクスキューズ。

いちおう上記引用部分は登録なしで読める部分なんだけど、これだけでも十分に興味深いというか、ちょっとした驚きだった。これに負けず劣らず全文、隅から隅までオモシロくて、情報量も多くて、読んでてなんかちょっと感動してしまった。

その経歴にもかかわらず、これまで野澤さんにはほとんど興味を引かれて来なかったんだけど、そこはシンプルに無知だったということでお詫びさせていただきた。野澤さんが正にそうであったように、やはりAKBGには、興味深い個性、卓越した才能が集まってることを再確認させられる。

インドネシア語習得の話が興味深かった。そうなんだよね。外国語ってのはそうやって血肉にして行くものなんだ。母国語環境の中で、学校でいくら教えたって、そうそう身につくものじゃない。あとは、ちょうどカズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞されたということで、それがもしかして、野澤さんの「小説を書く」というモチベーションの背中を押してくれることになるんじゃないだろうか。


大西桃香 一年間のおはようございます

2017年10月14日 | AKB
大西桃香 一年間のおはようございます


これは素晴らしい、の一言で終わらせても良いんだけど、もう少し余計なことをば。

まずはこの動画を作成されたぐんまり姫さんに感謝。この方作成の他の動画もいくつかざっと見させていただいたけど、チーム8愛がひしひしと伝わってくるなあ。

そして、1年分のリアルタイムの成長を越えて、大西さんの顔つきが少しづつだけど変わっていくのが、こうしてタイムラプスで見通すことで伝わって来る。昨日は「能動的な自己啓発」と表現させていただいたけど、こうして内面的な成長というものが可視化されてる、そんなドキュメンタリー的な意味での素晴らしい「作品」になってると思う。

毎日アイドル365日達成

2017年10月13日 | AKB
個人のツイッターなんで、リンクとかは貼らないけど、大西さんのSHOWROOM配信365日分の全データを表にしてまとめられてる方が、しかも複数人いて、なんか圧倒された。

そのお一人のまとめによると「祝!! 毎日アイドル365日達成!この内5時半定刻(5時30分00秒~59秒)のスタートが326日と脅威の9割。寝坊はたったの4回。お仕事で朝配信自体できなかったのは2回。」とのこと。義務とかではなく、直接的に収益とかを求めるものでもなく、あくまでも自発的な行動としてのこの結果。いくら賞賛してもし過ぎということはない。大西さん御本人にとっても、能動的な自己啓発というとアレだけど、決定的な経験というかイベントとなったことだろうし、継続のための継続ではなく、配信内容が充実してたのはもちろんのこと、そんなすべてを通して伝わってくる誠実さが、人としての信頼の醸成へと繋がることになる。

「浸透と拡散」

2017年10月12日 | AKB
「ハロウィン」はコト消費のもっと先を行っていた!

下図は、1970年頃からの世で起こったブームの推移に照らして、「モノ→コト→トキ」という生活者の嗜好の移り変わりを博報堂生活総合研究所にて取りまとめたものです。上述の「バルス祭り」を「トキ」の起こりとしてやや早い時期にプロットしていますが、AKB総選挙やニコニコ超会議など、その他の事例は概ね2010年前後から起き始めています。このタイミングの背景には何があるのでしょうか。

いくつか要因は考えられますが、ひとつには、生活者の心が「コト」に向かってからだいぶ時間が経過したことが挙げられます。「コト」自体が徐々に飽和し、「コト」を吟味する生活者の“舌が肥えてきた”結果として、さらに良質・特別な体験を求め、非再現性の高い「トキ」への関心が高まった・・・という流れです。

もうひとつの要因として、外すことができないのは「スマートフォンとSNSの浸透」です。スマホを手にした生活者は、SNSを通じてリアルとは違う交流の空間に自由にアクセスできるようになりました。SNSをはじめとするネット空間では、発信者と受信者が入り乱れ、相互に影響を与えあい、そうして生まれた盛り上がりがリアルタイムに可視化されます。

 それは結果として、リアルとはまた一味違う「同じ時間に不特定多数の誰かとつながっている一体感・ダイナミズム」を生活者に与えることになりました。ネットの技術的な進展が、生活者に「トキ」を楽しむ面白さを気づかせることになったのです。


私的には「リアルバーチャル連続体」と呼称してきたAKBGの存在様式だけど、やはり既にして「浸透と拡散」フェーズに至ってしまったということなのかもしれない。古くさい悪し様な表現で言うなら、時代に追いつかれた、追い抜かれた、そういうことなのかも知れない。

不動点とシンクロニシティ

しかし、「モノ→コト→トキ」とは、うまいうこと言ったもんだ。