城名 | 寺山城 |
住所 | 伊勢市上地町字寺山 |
築城年 | 不明 |
築城者 | 不明 |
形式 | 平城 |
遺構 | 土塁? |
規模 | 60m×70m |
城主 | 上地左衛門太夫? |
標高 | 12m |
経緯 | 宝徳2年(1450)(注1)北畠軍が上地、中須、掛橋辺りを焼き払った。又、寛正6年(1465)には上地と有爾(うに)と相論となり内宮側が地頭の上地左衛門太夫と交渉した。これら古文書の記述から上地左衛門太夫が寺山城の城主と考えれている。 |
書籍 | 伊勢市史 |
環境 | 参宮街道から80m南、汁谷川沿いの段丘左岸にある。その位置から推察すると北東から南西にかけての田畑及び山田方面を見張ると同時に、旧熊野街道を守備する城と考えられる。関所があったとも考えられる。 |
現地 | 昭和62年試掘調査が行われ幅2m以上深さ1m以上の空堀が検出された。これは当初の予想通りで土塁の外側に空堀が巡ることが明らかになった。 |
現在、城跡は上地公園となっている。伊勢市史に郭の南西部には幅2m深さ1m程の空堀が一部残存しているという記述があるが確認できない。又縄張り図に土塁が示されているが現認できない。 | |
郭南東の汁谷川との間、現在の竹藪の中に土塁らしき構築物が40m程あるが経緯は分からない。又南東隅にも土塁らしき形状が残る。 | |
考察 | 資料が少ない中ではやはり城跡のある位置を中心に考えざるを得ない。田丸の街道分岐から伊勢神宮へ向かう街道を守備すること。そして神宮側と北畠側の境界であったかも知れない汁谷川を境に前線を見張ること。しかし重要な役目にしてはいささか簡便な造りの城である。 |
感想 | 単に街道の関所的役割であったと考えるのが妥当と思われる。 |
注1 | 宝徳2年(1450)多気御所が栄えていたころ。 |
地図 |
藪の中に潜む土塁?
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