城名 |
五桂城 |
読み |
五桂城 |
住所 |
多気町平谷/五桂 |
築城年 |
一概に言えないが堀切の竪堀化の傾向が見られないことから、在地の城跡として共通するよく似た、竪堀のある長原城より古いと考えられる。 |
長原城の推定築城年は天文5年(1536)なのでそれ以前ということになる。 |
形式 |
山城 |
遺構 |
曲輪、堀切、土塁 |
規模 |
主郭25×20m |
城主 |
不明 |
標高 220m 比高 163m |
書籍 |
①三重の中世城館の記述を記す。 |
「五桂の南西の標高220mの光度山から北東にのびる山地の尾根にある。佐奈谷を一望におさめる所で、東側は五桂池へ通ずる谷となり、西側は急斜面をなしている。尾根が小山状に盛り上がっているだけで、あまり遺構はみられない。北方の人家の付近には馬場と呼ばれる所がある。」 |
「地目:山林、墓地 立地:山頂 住所:五桂字城山」 |
②日本城郭大系の記述を記す。 |
「多気町五桂字城山 山頂に城山の地名。遺構・城主は不明。」 |
以上2紙は場所を間違えている。今後のこともあるのでここで指摘しておきたい。(注1) |
③伊勢の中世 第62号 |
「五桂城跡は多気町の五桂の通称「城山」と呼ばれている光度山(標高229m)の山頂部に立地する中世城館である。 |
◎前記2紙の①と②は「城山」の位置を間違えていることになる。 |
現地 |
山頂の主郭にあたる所には直径2m、高さ0.5mの古墳状の高まりがあり、石室があり小さい祠が祀られている。 |
土塁は東の縁に高さ0.5mの小規模なものである。 |
登城は東の谷から行った。中々厳しいのぼりである。しかし、山頂に来てから分かったことだが北東に道があった。その道は地元の小学生も遠足で来ているようだ。 |
注1 |
2紙は五桂城の位置は間違えているが、その間違えた場所は本城に対する出城又は支城と考えても良いのかも知れない。 |
尾根で通じている点、本城の北側にある点(注2)、削平地が何段かある点、見晴らしの良い点など出城、砦などとして好条件が揃っている。 |
注2 |
この場所は北側から敵が来ることが想定できる。 |
地図 |
五桂城の支城かも知れない場所
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