城名 |
山岡城 |
読み |
やまおかじょう |
住所 |
玉城町山岡字村内 |
形式 |
平山城 |
遺構 |
台地の宅地化で消滅 |
規模 |
不明 |
城主 |
池山伊賀守(修理亮) 15??~15?? |
田丸三代城主顕晴(親忠)家臣。 |
北畠家臣帳(池山修理亮-対馬守-与五平) |
標高 14m 比高 5m |
経緯 |
伊勢において宇治六郷と山田三方は抗争していた。宇治六郷を応援する田丸城主と、山田三方を応援する池山伊賀守、城主と家臣という関係に相反する事態となった。 |
山岡城主、池山伊賀守は北畠家臣でありながら、山田三方側に合力し田丸城主と軋轢が生じ、伊賀守は反乱を起こすことになった。結果、伊賀守は田丸城を制圧し、田丸城主(親忠)を自刃に追い込んだ。 |
歴史 |
「勢陽雑記」には、「天文年間田丸家の侍山岡一党、池山伊賀守逆心して田丸を攻めける、とある。 |
田丸弾正少弼顕晴防戦ひけれども終に打ち負け、少弼自害しけり、とある。(田丸の兵乱) |
その後、北畠七代晴具の侍大将舟木少輔によって、山岡一党と池山伊賀守を山神城に追い詰め討たれた。(山神城合戦) |
この時、山岡城や城下も攻められたと考えられる。 |
資料 |
三重の中世城館 県史編さんグループレポート 山神城跡発掘調査レポート 玉城町教育委員会パンフ 玉城町文化財調査委員会レポート |
環境 |
宮川左岸の沖積地に残された比高5m程の丘陵地の中央部、最高地点に城はあったとされる。 |
北西3Kmに田丸城、南700mに岩出城がある。 |
現地 |
地元の人に案内してもらって城跡を訪ねる。 |
字のほぼ中央の標高の一番高い所に会所があり、城はこの周辺にあった。なるほどここなら高さ的条件は一番だ。昔、周囲は沼田と畑地であったとの話だ。 |
会所の建物の中の井戸は「馬洗い井戸」、南東400mは「人斬り場」と呼ばれている。 |
また、「山岡づきん」として、落城時の脱出のため変装した姿をなぞらえていると言われている。 |
この方、これから山岡氏のことについて調べて村史を纏められるということだ。いい人に巡り合えた。 |
地図 |
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