城名 |
小森上野城 |
住所 |
津市城山2丁目 |
築城年 |
天文年間 |
築城者 |
奥山左馬允 |
遺構 |
無し |
標高 15m 比高8m |
歴史 |
天文年間(1532~55)の末頃、長野工藤氏との争いの北上戦の前線にあった。 |
具教は迎撃態勢の一環として小森上野城には藤方御所一族と北畠小原具就を置いて長野工藤氏と戦った。 |
永禄年間(1558~70)のはじめ長野氏は北畠氏と和議を結び北畠具教の次男具藤を養子に迎えたことで長野氏、雲林院氏ら工藤一族は北畠氏の幕下に属した。 |
永禄12年(1569)秋、織田軍伊勢侵攻の時滝川一益・関氏軍を以ってこの城を攻めるが、城を守る藤方刑部少輔が守った。 |
書籍 |
三重の中世城館 |
一族 |
北畠家臣、重臣であったという。 |
現地 |
城跡は昭和18年頃までは土塁なども残されていたが第2次大戦中、海軍工廠に整地され遺構は壊滅した。現在は宅地、畑地となっている。地主のご老人にお聞きすると竹藪の中に古の様子が隠されているとのことで少し案内された。 |
段郭と思われるものと切岸と思われるものがそこにあった。その裾は寺の境内となっている。 |
30年程前まではここにあった井戸の水を利用して農作業をしていた。農作業中に土器の破片がよく出た。 |
農作業の手を止めて案内してくださったご老人、ありがとうございました。 |
感想 |
伊勢湾に向かって迫る段丘は南北に4Kmほど続き城を築くには敵地である。北から垂水城、北畠満雅陣地、池ノ谷砦、小森上野城、小森城と並んでいる。 |
👆 段丘の北東端の様子 👆 竹林の中の切岸かもしれない様子 👆 一部、削平地が見られる 👆 井戸があった辺り
地図
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