三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 時々徒然に

中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

伊勢長島城

2020-08-21 14:51:11 | 古城巡り

城名
 伊勢長島城
読み
 いせながしまじょう
住所
 桑名市長島町西外面2188
築城年
 文明年間
築城者
 伊藤重晴
形式
 平城
遺構
 移築大手門(蓮生寺)、移築奥書院(深行寺)、堀跡
規模
 230m×310m
城主
 伊藤重晴-滝川一益-原-福島-菅沼-増山
標高 1m 
歴史
 1245年(寛元3)藤原道家が居住する。
 1482年(文明14)伊藤重晴が築城。
 1561年(永禄4)服部左京進が伊藤重晴を追放して、願証寺に属した。
 1567年(永禄10)織田軍第1回伊勢攻略
 1568年(永禄11)織田軍第2回伊勢攻略 服部左京進が没して、下間三位頼且が守護した。
 1569年(永禄12)織田軍第3回伊勢攻略
 1571年(元亀2)一向一揆討伐(1回目)で柴田勝家負傷、氏家卜全討死、岐阜へ撤退。
 1573年(天正元)一向一揆討伐(2回目)織田軍は大垣から南下する隊と八風峠超えする隊に分け、北伊勢一帯に入り末寺、土豪、門徒宗を攻撃した。しかし、軍船を調達できなかったことと、畿内で反織田の動きが出たため岐阜へ引き返した。
 1574年(天正2)一向一揆討伐(3回目)九鬼などの水軍で長島を取り囲み孤立させ、3か月にわたる籠城戦の末、9月に落城。その後滝川一益が入城し修築する。 一益は北伊勢一帯を治めていたが、秀吉と争ったため、長島は再び戦乱の舞台となった。
 1583年(天正11)北畠信雄の支配となる。城代として、関弥平次が守護する。
 1590年(天正18)豊臣秀次の支配となり吉田修理亮が守護する。
 1592年(文禄元)天野周防守景俊が、長島2万石の城主となる。
 1593年(文禄2)原隠岐守胤房が城主となる。
 1598年(慶長3)福島正頼が城主となる。

 1601年(慶長6)菅沼織部正定盈が城主となる。

 1702年(元禄15)増山氏が藩主となり明治に至る。

書籍
 三重の中世城館
現地
 長島中学校、長島中部小学校
感想
 織田信長が伊勢平定をする戦いの伊勢方の最前線となり、激しい戦いが数年に及んであった。忘れてはならない歴史だと考える。
注1
 願証寺=長島御坊。
地図

 

堀跡と曲輪跡

長島中部小学校と町指定天然記念物「大松」

堀跡

蓮生寺の門

増山雁金紋の鬼瓦

増山氏の家紋「増山雁金」

 

 



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