城名 |
伊勢長島城 |
読み |
いせながしまじょう |
住所 |
桑名市長島町西外面2188 |
築城年 |
文明年間 |
築城者 |
伊藤重晴 |
形式 |
平城 |
遺構 |
移築大手門(蓮生寺)、移築奥書院(深行寺)、堀跡 |
規模 |
230m×310m |
城主 |
伊藤重晴-滝川一益-原-福島-菅沼-増山 |
標高 1m |
歴史 |
1245年(寛元3)藤原道家が居住する。 |
1482年(文明14)伊藤重晴が築城。 |
1561年(永禄4)服部左京進が伊藤重晴を追放して、願証寺に属した。 |
1567年(永禄10)織田軍第1回伊勢攻略 |
1568年(永禄11)織田軍第2回伊勢攻略 服部左京進が没して、下間三位頼且が守護した。 |
1569年(永禄12)織田軍第3回伊勢攻略 |
1571年(元亀2)一向一揆討伐(1回目)で柴田勝家負傷、氏家卜全討死、岐阜へ撤退。 |
1573年(天正元)一向一揆討伐(2回目)織田軍は大垣から南下する隊と八風峠超えする隊に分け、北伊勢一帯に入り末寺、土豪、門徒宗を攻撃した。しかし、軍船を調達できなかったことと、畿内で反織田の動きが出たため岐阜へ引き返した。 |
1574年(天正2)一向一揆討伐(3回目)九鬼などの水軍で長島を取り囲み孤立させ、3か月にわたる籠城戦の末、9月に落城。その後滝川一益が入城し修築する。 一益は北伊勢一帯を治めていたが、秀吉と争ったため、長島は再び戦乱の舞台となった。 |
1583年(天正11)北畠信雄の支配となる。城代として、関弥平次が守護する。 |
1590年(天正18)豊臣秀次の支配となり吉田修理亮が守護する。 |
1592年(文禄元)天野周防守景俊が、長島2万石の城主となる。 |
1593年(文禄2)原隠岐守胤房が城主となる。 |
1598年(慶長3)福島正頼が城主となる。 |
1601年(慶長6)菅沼織部正定盈が城主となる。 1702年(元禄15)増山氏が藩主となり明治に至る。 |
書籍 |
三重の中世城館 |
現地 |
長島中学校、長島中部小学校 |
感想 |
織田信長が伊勢平定をする戦いの伊勢方の最前線となり、激しい戦いが数年に及んであった。忘れてはならない歴史だと考える。 |
注1 |
願証寺=長島御坊。 |
地図 |
堀跡と曲輪跡
長島中部小学校と町指定天然記念物「大松」
堀跡
蓮生寺の門
増山雁金紋の鬼瓦
増山氏の家紋「増山雁金」
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