三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 時々徒然に

中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

田辺城

2020-08-24 11:10:46 | 古城巡り

田辺城

城名
 田辺城
住所
 いなべ市田辺北山
築城年
 天正14年(1586)
築城者
 木造左衛門左具康(長政)
形式
 平山城
遺構
 郭、土塁、空堀、土橋
 台地南側の先端に方形の本丸を設け、同一平面上北側に家臣団の居館を配した典型的な戦国城館の形式は、関東地方を中心に行われた丘陵城郭と呼ばれるものである。
規模
 210m×450m
 主郭は50m×50mの空堀と土塁に囲まれた方形のもので3か所に虎口がある。
 ただ西側の入口は土塁の崩れた状態から見て、後世に造られたものと思われる。
城主
 木造氏
一族
 北畠一族
標高 240m 比高 30m
歴史
 木造具康の築城。具康は天正12年(1584)小牧長久手の戦いで父の隠居所・戸木城を増強し、秀吉方の蒲生軍と対峙し、6か月籠城しよく戦った。
 同14年信雄、秀吉の和睦により戸木城は開城され、具康は信雄より与えられたこの田辺に城を築き住んだ。
 天正18年(1590)秀吉から織田秀信の家老職を命ぜられ2万5千石を知行された。
 慶長5年(1600)の関ケ原で西軍に属し、敗れて、田辺城は廃城となる。
 具康は東軍の福島正則に2万石で仕えたが4年後(1604)に死去した。
書籍
 三重の中世城館 日本城郭体系10巻
現地
 谷が複雑に入り込んだ丘陵上の小高い位置にあり土塁空堀が残存している。
 その規模が員弁川流域で最大である。
 模擬城門が造られている。
注1
 木造氏の系図では具康と長政は別人説がある、一方他では同一人物説あり。
 ここでは同一人物とした。
地図



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