阿坂城
あざかじょう
城 名 | 阿坂城 |
住 所 |
松阪市大阿坂町
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築城年 | 1350年ごろ |
築城者 | 北畠親房 |
形 式 | 山城 |
遺 構 | 郭(白米城・椎ノ木城)、堀切、竪堀、土塁 |
規 模 | 南北300m、東西150m |
城 主 | 北畠親房、北畠満雅、大宮入道含忍斎 |
標 高 | 312m |
比 高 | 270m |
歴 史 | 南北朝時代から室町時代を経て戦国時代で終える217年間の歴史がある。 |
経 緯 | |
① | 14世紀 築城時期 北畠親房のとき 文和元年・正平7年(1352)の戦い |
南北朝時代;9月5日、細川元氏、伊勢国に入り南朝軍と戦う。10月4日、 土岐頼康もこれに参陣し、阿坂城中村口に戦い撃破する。 |
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② | 15世紀 63年後 北畠満雅のとき 応永22年(1415)の戦い |
室町時代;5月16日、室町(足利)幕府軍、北畠満雅が籠城する阿坂城を陥 落させる。和解が成立。白米城伝説のとき。 |
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③ | 15世紀 10年後 満雅2回目の戦い 1425年-1428年 |
応永32年;1425年、北畠満雅(みつまさ)が阿坂城で足利軍(室町幕府) に反旗をひるがえし、再び挙兵するが岩田川の戦いで満雅討死。正長元(14 28年12月21日)晒し首となる。 |
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④ | 16世紀 141年後 北畠具教のとき 永禄12年(1569)の戦い |
戦国時代;8月26日、大宮入道含忍斎、羽柴秀吉に討たれる。阿坂城は以 後廃城となる。しかしこの時秀吉も一生に一度のけがをした。 |
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書 籍 | 三重の中世城館 |
環 境 | 南伊勢の入口と多気への入口の両方を俯瞰できる場所にある。 |
家 臣 | 大宮兵部少輔;軍奉行 |
現 地 |
支城に椎の木城を持つ。 逆かもしれない。椎の木城が主郭で白米城が支城か。 出城に高城と枳城を持つ。山頂へは整備された道が浄願寺から続いている。ハイ キングコースとして人気があり年中人が訪れている。 |
考 察 |
北郭(椎ノ木城)は虎口や土塁や堀を持つが、南郭(白米城)は虎口も明確に 分からず郭に土塁もなく、腰郭も完成度が低くく城の個性が違うところに面白さ がある。両方合わせても大きな山城ではなくコンパクトである。 |
感 想 |
白米城伝説は有名で吾輩も小さいころから聞いていた。ハイキングでここを訪 れて白米城や椎ノ木城を見て山城ファンになる人がいるかもしれない。 |
地 図 |
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