丹生城
丹生城堀切
にゅうじょう
住所;三重県多気町丹生
築城年;不明
築城者;不明
形式;山城
遺構;郭、堀切
規模;8m×15mの郭
城主;不明
標高;80m 比高;15m
歴史;多気町丹生は古代から水銀の産出地として栄え中世まで続いた。
13世紀には丹生右馬允(にゅううまのじょう)ー丹生左衛門三郎、
河田入道(こうだにゅうどう)ら悪党(反体制派)の名前が挙がっ
ている。(吾妻鏡)彼らは鎌倉時代後期に活躍していたと考えられ
る。(勢和村史)
また北畠氏の配下として豪商・長井家が存在する。彼らの内、誰
かの城ではないだろうか。
遺構考察;単郭で規模も小さいがプリン型の郭の傾斜はきつくハッキリ
している。切岸と考えてよい。北方面に続く尾根の動線を遮断する
大小2本の堀切の深さは浅くなっているが当初は郭と同じ高さ寸法
があったと思われる。南側にある階段は後世のものと考えられるが
主郭虎口は同じ位置だと思われる。郭の東側と西側の一部に通路と
思われる削平地が見られる。尾根続きで北東から東にかけて標高1
00mの山頂があるがまだ未制覇で関係が読めていない。
感想;ここに城跡があるという情報は全く知らないし山城の定義も理屈
も当てはまるかどうか分からないが削平地と堀切を見たらやっぱり
城跡としか思えない。今後の調査に期待したい。
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