上村城(うえむらじょう)
城主;北岡光久
築城時期;天正四年以降(1576~)
経緯;有爾中村城主、北岡光房は天正四年(1576)十一月、織田信雄のために田丸城で
討死した。
この時、子光久は有爾中村城を逃れて上村に退きここに住んだ。
感想;西方の岩内城まで600m余、父の最期を知り有爾中村城を捨てかつて岩内御所と
呼ばれた城山の麓に退いてきた子光久の心境は推し量れないほど重いものであっ
たと思う。三瀬で北畠具教が惨殺され、北畠家が終焉をむかえるときである。
北岡家の益々のご発展をお祈り申し上げます。
住所・地図;省略
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