霧館
きりやかた
解釈 霧館イコール山際館という解釈は吾輩の身勝手かもしれない。松阪市遺跡地図で
山際(やまぎわ)遺跡というのがある。そのデータをヒントにして推測してみた。
記録データの住所が①小片野町ということと、②築城者の山副(やまぞえ)
と現在の地名が山際(やまぎわ)とよく似ていること、そして背後に見応えのある山城にふさわしいような形
の③いい山があること、これにかこつけて現時点では霧館イコール山際館ということにした。
城名 |
霧館(山際館) |
住所 |
三重県松阪市小片野町 |
築城年 |
室町時代 |
築城者 |
(北畠家臣)山副十六兵衛---後に久保将監 |
形式 |
居館 |
遺構 |
なし |
規模 |
南北150m×東西180m |
城主 |
山副十六兵衛---久保将監 |
標高 |
84m |
経緯 |
三重の中世城館の「不明城館」の欄に「霧館址」とある。記載されている住所は「小片野町字山際、桐久保」とある。加えて「松阪市遺跡地図」の小片野町地区の地図を見ると「山際遺跡」という範囲が示されている。この両者の共通点は地名の「山際」である。強引にこの地名を同じ事案と見立てて霧館はイコール山際遺跡と考えた。全く同じ地点ではなくても大きく外れていないのでないか、と許容した。 |
歴史 |
波多瀬城の城主波多瀬三郎実徳は、叔父山副十六兵衛実有・六呂木十之右衛門実忠兄弟とともに挙兵するが、やぶれて捕らえられ船江で処刑される。その山副の住まいがここにあったのかもしれない。 |
経緯 |
土師器皿や羽釜が出土している |
書籍 |
三重の中世城館;不明城館 |
環境 |
現在、水田 |
一族 |
波多瀬城主、波多瀬三郎実徳の叔父 |
|
六呂木城主、六呂木十之右衛門実忠の兄 |
感想 |
背後に標高300m弱の形のよい山がある。その裾に館があったと思われる。程よい高さや形の山と、麓の暮らしやすそうな平地のセットが城主としては理想。いっそうのこと山に登って山城の形跡がないか確かめてみたいと思うほどの山容である。残念ながら麓にも館を思わせる風景や遺構は何もない。やはり山に登るしかないのか。許容している責任を取るべきだと自分を責めているがいつ山に登れるのだろうか。 |
地図 |
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