城名 |
八太城 |
読み |
はたじょう |
住所 |
津市一志町八太 |
築城時期 |
永禄年間 |
築城者 |
田上讃岐守 |
形式 |
山城 |
遺構 |
郭、堀切、土塁、物見代 |
城主の系譜 |
田上讃岐守 - 子1)右近 - 子2)兵衛尉 |
規模 |
東西125m×南北95m |
標高 68m 比高 50m |
歴史 |
北畠家家臣。滅亡後は秀吉家臣。 |
天正4年(1576)北畠氏が滅び羽柴秀吉に仕える。 |
文禄元年(1592)兵衛尉は朝鮮の役で戦死し田上家は断絶した。 |
その後、織田信雄は日置大膳に居城を与えたが、天正12年(1584)に秀吉は蒲生氏郷の与力生駒弥五左衛門をここに移している。 |
その後、廃城となる。 |
書籍 |
三重の中世城館 |
環境 |
この城は南の谷あいが旧初瀬街道で、東へ行けば斑光寺、天花寺城に通じ、西へは多気に通じる関門となって重要な役割を果たしている。 |
現地 |
山は高さ50mで谷は深い。西の尾根に堀切がある。頂上は平坦で行者祠があり、その後方に土塁がある。 |
地図 <!-- 八太城 --> |