三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 時々徒然に

中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

新城発見 リスト

2020-08-25 17:56:56 | 日本の城

      日本には城の数が3万とも5万ともあるといわれる。都道府県の数が47で各1,000城あるとすると、47,000城となるがこれはあまりに無鉄砲な考えだ。3万と5万と大きくかけ離れている理由に3万は発見され名前がある城の数で、5万は未発見の城の数を加えたものかも知れない。

 ご当地三重県では1,000城余りというのが相場である。上記の各1,000城にちょうど等しい。大別もされている。伊賀上野地区が半分の500で、残りが三重県の他の合計という。伊賀上野地区に固まって多くあるのは中世までの国人という制度が理由という。このような地域の特殊性はまた全国にあると考えられる。

 自身も城を新しく見つけ、三重県の城、1,000城に加わることになるのかも知れない。しかし、その数は1%にも満たない程である。

 新城発見・発表のリスク

1、真偽の程度

2、世間へ迷惑をかける

3、確定の手法

 本当に遺構と言っていいのか、そんな状態で世間に公表してよいのか、論理武装は確かなのかと悩んでしまうところである。

 それでも、信念のもと発表している。形がなくなる前に記録に残したいという一心である。真偽は後世にお任せしようと思う。リスクより可能性の方に掛けたのである。

 新城発見リスト

1、丹生城 

  報道発表

  H,P https://blog.goo.ne.jp/idealblog2/e/ba0a1575fcff31150c25387a2f0bd507

2、大阿坂城 報道未発表

  H,P https://blog.goo.ne.jp/idealblog2/e/6b7d4c56a6961a9cb7c2a074dd0c4c09

3、庄城 報道未発表

  松阪山城会例会訪城 2018年4月26日 13名

  

  H,P https://blog.goo.ne.jp/idealblog2/e/667ebd2e1b827c2ec78602270501dfba

4、御麻生薗城 報道未発表

  H,P https://blog.goo.ne.jp/idealblog2/e/7d2067822ec2b8b68fb2c415a6c605c8


御麻生薗城(仮称) 新城発見か?!

2020-08-25 17:55:31 | 松阪の城

新城発見か!? 仮に御麻生薗城とする。

 御麻生薗城縄張図(自作)

住所 松阪市御麻生薗町 / 庄町

遺構 主郭(虎口あり)、堀切、削平地、土橋、見張台

詳細不明 見張台の位置から根木峠、および櫛田川から伊勢本街道を見張る砦ではなかったろうかと想像する。

経緯 口伝も、史料も何もない。縄張図の右下に「庄城」を示したがこれは2018年に発見した城であるが、その城を調査しているとき付近に「武士ヶ谷・陣出・馬場」などの小字名を知ることになり、もう一度付近を調べ直す必要があると思ったことがきっかけとなった。

 この山の名前は「本郷浅間山」というのかもしれない。また庄城も浅間山である。そのこともあって、もう一度「本郷浅間山」を調べることにした。

 上山城の脇の道を登ると南の尾根筋である。登り口からの急坂を登り切ったところに石組と土によって造られた虎口のような遺構に出迎えられる。遺構と言い切るのは、石がL字型に組まれている・石組の内側に土塁が盛られている・空堀が崖に向かって施されているなどがあるためである。また見張台としたのはこの場所が櫛田川から伊勢本街道を川向こうの牧まで見下ろせる唯一の場所と思われ、見張り役が乗るのに都合のいい大石があるからである。

 尾根筋をさらに登ると最初のピークに出て、一息つくと目の前に堀切が見えてくる。東側は昭和45年頃のミカン畑造成の改変でなくなっているのが残念である。しかし、西側に残る堀切の半分は崖に続く明瞭なものである。

 西に延びる尾根には堀切はないが、削平地、土橋、見張台がセットとして施されている。恐らく根木峠から櫛田川までの見張台に使われたのではないかと想像する。

 主郭は北西に虎口を持つ。虎口の外には帯曲輪と連続するエプロンがある。主郭北の土塁は当初は今より面積があったのかもしれない。神社の祠等の造営でかなり改変され無くなっている。

 主郭から東の尾根に入りかなり進むと明瞭な堀切がある。同じく片側(南側)はミカン畑造成によってなくなっている。

 ふもとの上山城との関係は定かでない。上山城は中世も末期の館跡でないかと言われているが、この御麻生薗城はそれより以前の戦国最盛期の砦跡ではなかろうか。上山城の詰城にしては簡素すぎるし、中世末期には見張台は必要性が乏しいなどが考えられる。

 大河内城と三瀬の館を行き来するには根木峠、ないしは寺井からの間道は重要であったと考えられる。また伊勢本街道と櫛田川と間道の監視もできるビューポイントであることから流通を監視する見張台とも考える。

 昭和56年発行の「広瀬史」北畠の桜の項によると、『字山ノ下にあり一名駒引の桜とも云う。往古多気の国司北畠隆盛の時三瀬御所の通路に当れるに依り国司通行の都度此処にて櫛田川之景色を眺むべく桜樹に駒をつなぎて休憩せられたりより之を名づく。(中略)今や其の跡を桜広(サクラビロ)と称す。』とあり、三瀬に行き来する道があったことをうかがわせることから、この付近を警護する見張台があったのではないかと想像してしまう。

 

 

 

 


まだまだある松阪の城

2020-08-25 17:53:56 | 松阪の城

「松阪の城50選」に取り上げられなかった、「その他の松阪の城館」をリストアップしてみた。

 遺構の有るもの無いもの、資料の有るもの無いもの、それぞれ条件は厳しくなるが全くのでたらめでそれらの名称が云われているわけではないだろう。

 火のないところに煙は立たず!

  コラムⅠ対応 他の城について
 

  「資料に登場する城館」

51 小川城 松阪市嬉野中川町
52 立野城 松阪市立野町椋谷
53 曽原城 松阪市曽原町城屋敷
54 堀之内城 松阪市嬉野堀ノ内町
55 達磨城 松阪市松名瀬町
56 久米城 松阪市久米町
57 五輪山城 松阪市藤之木町
58 島田城 松阪市嬉野島田町
59 寺井城 松阪市笹川町
60 福本城 松阪市飯高町福本
61 星合氏館 松阪市星合町里中
62 佐藤氏館 松阪市肥留町
63 天保館 松阪市嬉野島田町
64 戸垣内館 松阪市八太町戸垣内
65 大石館 松阪市大石町御所屋敷
66 久保三河守館 松阪市広瀬町
    「今後の研究が期待される城館」
67 庄城 松阪市庄町
68 仁柿城 松阪市飯南町上仁柿
69 大石城 松阪市阪内町 / 深野町
70 小原冷泉館 松阪市嬉野小原町
71 乙栗子砦 松阪市飯高町乙栗子
    まだまだある松阪市の城館
72 花園城 松阪市嬉野上小川町
73 二段平城 松阪市飯高町加波
74 山副氏館跡 松阪市山添町
75 御麻生薗城 松阪市御麻生薗本郷/庄
76 丹生寺城 松阪市丹生寺町
77 大阿坂城 松阪市大阿坂町
78 阿波曽城 松阪市阿波曾町
79 宮野城 松阪市嬉野宮野町
80 朴木砦 松阪市小片野町
81 岩内御所 松阪市岩内町
82 白粥城 松阪市飯南町向粥見
83 岸江城 松阪市東町/宮町/愛宕町
84 川島砦 松阪市川島町
85 園館 松阪市小片野町
86 深野城 松阪市飯南町深野
87 長野城 松阪市飯南町深野
88 沼田氏館 松阪市大阿坂町
89 下池田館 松阪市立野町下池田
90 奥野城 松阪市西野町/笹川町
91 西野城 松阪市西野町

 


松阪の城50選 第4刷販売中

2020-08-25 17:53:16 | 古里の歴史

 

松阪の城50選が好評につき、3刷(1800冊)が7月末で売り切れとなりました。この度4刷目の販売を新たに開始しました。これまでの皆様のご支援に感謝申し上げます。松阪山城会の会員が総力を結集して完成させました珠玉の一冊です。ぜひ、お手元に一冊お買い求めください。


松阪の城50選 4刷販売開始

2020-08-25 17:52:50 | 古城巡り

 松阪の城50選が好評につき、3刷(1800冊)が7月末で売り切れとなりました。この度4刷目の販売を新たに開始しました。これまでの皆様のご支援に感謝申し上げます。松阪山城会の会員が総力を結集して完成させました珠玉の一冊です。ぜひ、お手元に一冊お買い求めください。詳しくは ”松阪の城50選、入手方法”をご覧ください。

👆 52ページで紹介している #39赤桶城 の遠景

赤桶城はこの地方では珍しい2重の堀切があります。標高240m、比高70m。城への道案内や縄張図、写真で分かり易く案内を記述しています。

新聞記事

 


上笠田城

2020-08-25 12:05:47 | 古城巡り

城名
 上笠田城
読み
 かみかさだじょう
別名
 笠田砦
住所
 上笠田字城下263-2
築城年
 永禄年間
形式
 平山城
遺構
 土塁、空堀
規模
 53×65m
城主
 多湖大蔵允
標高 72m 比高 10m
歴史
 多湖氏、永禄年中;飯田佐衛門尉
経緯
 多湖家は建武年間(1334~37)にこの池を押領し、代々居住して付近に大きな勢力をもっていた。永禄年中には、飯田佐衛門尉が上笠田城を守っていたが織田信長の侵攻の際に滅ぼされた。(勢陽五鈴遺響)
書籍
 三重の中世城館
現地
 地目:山林 立地:丘陵 南側に員弁川を臨む丘陵の端に位置しており、土塁、空堀も部分的に残存している。寛永年間に六把野用水路の掘割により城跡は分断されている。現在城山稲荷大明神が祀られている。
地図


野尻城

2020-08-25 09:45:25 | 古城巡り

城名
 野尻城
読み
 のじりじょう
住所
 いなべ市藤原町西野尻字南谷
築城年
 天正年間
築城者
 不明
形式
 山城
遺構
 曲輪、土塁、竪堀、空堀
規模
 100×130m
城主
城主は史料によって記述が異なる。
 西野左馬亮(勢陽五鈴遺響)
 塩谷兵部と西野左馬助(三国地誌)
 文治年中(1185~1189)輪田右馬允が居住し、そののち、白瀬家が六代続き、その後日置大膳、その子日向および塩谷兵部ら数代が居城したと記している。(伊勢名勝志)
 輪田右馬允、白瀬正司家が六代、その後日置大膳、日向親子、および塩谷兵部が居城した。(三重の中世城館)
標高 148m 比高 28m
歴史
 塩谷兵部は1574年(天正2)滝川一益に不信を抱かれ、長島城に呼び出され切腹させられた。
経緯
書籍・資料
 三重の中世城館 いなべに行こう(いなべ市観光協会)
現地
 大字西野尻字南谷の丘陵の先端に位置する。北から東には平地が一望される。一部は三岐鉄道の線路により消滅している。
地図


田辺城

2020-08-24 11:10:46 | 古城巡り

田辺城

城名
 田辺城
住所
 いなべ市田辺北山
築城年
 天正14年(1586)
築城者
 木造左衛門左具康(長政)
形式
 平山城
遺構
 郭、土塁、空堀、土橋
 台地南側の先端に方形の本丸を設け、同一平面上北側に家臣団の居館を配した典型的な戦国城館の形式は、関東地方を中心に行われた丘陵城郭と呼ばれるものである。
規模
 210m×450m
 主郭は50m×50mの空堀と土塁に囲まれた方形のもので3か所に虎口がある。
 ただ西側の入口は土塁の崩れた状態から見て、後世に造られたものと思われる。
城主
 木造氏
一族
 北畠一族
標高 240m 比高 30m
歴史
 木造具康の築城。具康は天正12年(1584)小牧長久手の戦いで父の隠居所・戸木城を増強し、秀吉方の蒲生軍と対峙し、6か月籠城しよく戦った。
 同14年信雄、秀吉の和睦により戸木城は開城され、具康は信雄より与えられたこの田辺に城を築き住んだ。
 天正18年(1590)秀吉から織田秀信の家老職を命ぜられ2万5千石を知行された。
 慶長5年(1600)の関ケ原で西軍に属し、敗れて、田辺城は廃城となる。
 具康は東軍の福島正則に2万石で仕えたが4年後(1604)に死去した。
書籍
 三重の中世城館 日本城郭体系10巻
現地
 谷が複雑に入り込んだ丘陵上の小高い位置にあり土塁空堀が残存している。
 その規模が員弁川流域で最大である。
 模擬城門が造られている。
注1
 木造氏の系図では具康と長政は別人説がある、一方他では同一人物説あり。
 ここでは同一人物とした。
地図


大島城

2020-08-23 11:41:43 | 古城巡り

城名
 大島城
読み
 おおしまじょう
住所
 桑名市長島町大島(長良川)
築城年
 天正年間
遺構
 消滅
規模
 不明
城主
 大島新左衛門
標高 不明 
歴史
 長島の西南隅の出城で兵2000人、長島一向一揆の拠点。
経緯
 明治の河川改修で水没。
書籍
 三重の中世城館
現地
 桑名市教育委員会文化財「遺跡包蔵地検索」によると、護岸から西200m位の長良川の水中を示している。
 大島水門が付近にある。
地図


小田御崎砦

2020-08-23 09:37:49 | 中世の歴史

城名
 小田御崎砦
読み
 おだみさきとりで
住所
 桑名市長島町西外面(長良川)
築城年
 天正年間
遺構
 消滅
規模
 不明
城主
 梅戸高実-高資
一族
 田光氏の後裔。
 北勢四十八家(八風街道の抑え-六角氏と縁組)の一家。
歴史
 長島の西の守備砦。
 ウィキペディアでは、1568年(永禄11)織田信長に攻められて滅亡した、とある。

 三重の中世城館(桑名史)では、1574年(天正2)7月落城とある。

 上記1568年は、織田信長第2回目の伊勢侵攻の時、下記1574年は、一向一揆3回目討伐の時である。
書籍・参考資料
 三重の中世城館・他
現地
 桑名市教育委員会文化財「「遺跡包蔵地検索」によると、光栄寺の西250m位の長良川の水中を示している。
 付近にある大智院には長島増山家六代藩主正賢(号雪斉)による、松尾芭蕉の「奥の細道」の旅後、大智院訪問百年を記念して、自筆による「蕉翁信宿処(しょうおうしんしゅくどころ)市指定有形文化財」の碑を寛政元年(西暦1789年)3月3日建立がある。
地図

輪中の石垣