寺が砦、或は城と化した例として「城」扱いとした。
城名 |
願証寺城(願證寺) |
読み |
がんしょうじじょう |
住所 |
桑名市長島町又木434 |
築造年 |
1492年(明応10)ごろ(中郷杉江地区) |
1537年(天文6)現在地へ移転(西外面) |
1574年(天正2)織田軍3回目の一揆討伐 |
1596~1615年慶長年間に復興 |
築造者 |
連淳(蓮如の6男) |
形式 |
平寺 |
遺構 |
石碑 |
規模 |
50m×60m |
寺主 |
連淳-実恵-証恵-証意-顕忍 |
宗派 山号 |
浄土真宗本願寺派長島山願証寺 |
標高 -0.1m |
歴史 |
信長に敗れた斎藤龍興が逃げ込む。 |
経緯 |
戦乱の世で明日の生活もわからず、頼るもののない民衆や農民の中には、来世に救いを求めて、浄土真宗に帰依するものが多く、願証寺にはたくさんの人々が寄ってきた。尾張や美濃で織田信長に反抗する土豪や戦いに敗れた戦国武将・国侍なども数多く願証寺に寄った。 |
書籍 |
三重の中世城館 |
環境 |
現代では当時の輪中の長島の様子を見ることは出来ないが古図から想像すると、舟でないと近づけない様子だ。川幅や水そのものが防御のアイテムであった。 |
現地 |
現在でも海抜はマイナスである。周辺は田圃が取り巻いている。当時は沼田であったと想像させる。 |
感想 |
織田軍の伊勢侵攻が2回、一向一揆討伐が3回と数年にわたってあり、その渦中にあった長島の中心にあって、人々の心を寄せる大切な場所であったのではないだろうか。 |
地図 |