シェルティー ラン吉

拙者シェルティーラン吉でござる ラン吉のランは「団らん」のラン 一度しかない今日もろもろをラン吉ママがしたためまする

ポチの思い出ものがたり 3

2012-06-06 23:07:01 | ポチの思い出ものがたり

S少年がうまれる前のこと――

 

日本は、おこしてはいけない戦争をおこしました。

戦争は、日本人だけでなく、世界中の多くの人の人生を狂わせました。

日本は、国をあげ世界を巻きこんで、不幸にむけてつき進んで行ったのです。

人々の命が、ごみのように捨てられました。

戦争で得をした人間なんて、ひとりもいません。

日本は、戦争という名のもとに、人同士で殺し合いをしました。

そして67年前、日本がまけて戦争は終わりました。

 

その戦争のさなか、空襲がはげしくなってきたので、S少年の両親は東京をはなれ、親戚をたよって、一家で長野に疎開しました。

疎開生活は、肩身のせまい、いそうろう暮らしです。

ひもじくみじめな生活は、疎開した者にとってつらく厳しいものでした。

いくら親戚とはいえ、その日の食べ物にもこと欠く暮らしの中、都会から逃げてきた者は、やっかい者以外のなにものでもありませんでした。

着物を売り家財を売り、農家に食べ物をわけてもらえるうちは、まだましでした。

売るものもなくなり農家に相手にされなくなれば、たちまち飢えます。

一家族が、なにも持たないはだか同然のありさまで、生きていかなければなりません。

物をひとつ借りるのにも頭をさげる以外に方法はなく、S少年の両親は苦労して、つらい疎開生活をおくりました。

 

それでも、出征や空襲で亡くなった者はおりませんでしたから、他の多くの人々からみれば、まだまだ恵まれていたに違いありません。

戦場や空襲で亡くなられた方々はたくさんいらっしゃいました。

お弔いもなく、家族みんなが亡くなられたご一家もありました。

また、年端のいかない子ども達がたくさん孤児になりました。

駅でたむろしていたあの子ども達は、今どうして暮らしているのでしょうか。

戦場や空襲で亡くなられた方々も、そして生き残った者達も、あるべき自分の人生をまっとうできなかった悔しさを、なにで晴らせばよかったのでしょう。

 

戦争のせいで、命も物も焼けました。

だから、戦争が終っても、日本は国中が貧しかったのです。

まずは、失った物を取りもどすところから始めなければなりませんでした。

みんな懸命に働きました。

でも、どんなに努力しても、失った命を取りもどすことだけはできませんでした。

 

戦争で幸せになった人は、一人もいませんでした。