S少年がうまれる前のこと――
日本は、おこしてはいけない戦争をおこしました。
戦争は、日本人だけでなく、世界中の多くの人の人生を狂わせました。
日本は、国をあげ世界を巻きこんで、不幸にむけてつき進んで行ったのです。
人々の命が、ごみのように捨てられました。
戦争で得をした人間なんて、ひとりもいません。
日本は、戦争という名のもとに、人同士で殺し合いをしました。
そして67年前、日本がまけて戦争は終わりました。
その戦争のさなか、空襲がはげしくなってきたので、S少年の両親は東京をはなれ、親戚をたよって、一家で長野に疎開しました。
疎開生活は、肩身のせまい、いそうろう暮らしです。
ひもじくみじめな生活は、疎開した者にとってつらく厳しいものでした。
いくら親戚とはいえ、その日の食べ物にもこと欠く暮らしの中、都会から逃げてきた者は、やっかい者以外のなにものでもありませんでした。
着物を売り家財を売り、農家に食べ物をわけてもらえるうちは、まだましでした。
売るものもなくなり農家に相手にされなくなれば、たちまち飢えます。
一家族が、なにも持たないはだか同然のありさまで、生きていかなければなりません。
物をひとつ借りるのにも頭をさげる以外に方法はなく、S少年の両親は苦労して、つらい疎開生活をおくりました。
それでも、出征や空襲で亡くなった者はおりませんでしたから、他の多くの人々からみれば、まだまだ恵まれていたに違いありません。
戦場や空襲で亡くなられた方々はたくさんいらっしゃいました。
お弔いもなく、家族みんなが亡くなられたご一家もありました。
また、年端のいかない子ども達がたくさん孤児になりました。
駅でたむろしていたあの子ども達は、今どうして暮らしているのでしょうか。
戦場や空襲で亡くなられた方々も、そして生き残った者達も、あるべき自分の人生をまっとうできなかった悔しさを、なにで晴らせばよかったのでしょう。
戦争のせいで、命も物も焼けました。
だから、戦争が終っても、日本は国中が貧しかったのです。
まずは、失った物を取りもどすところから始めなければなりませんでした。
みんな懸命に働きました。
でも、どんなに努力しても、失った命を取りもどすことだけはできませんでした。
戦争で幸せになった人は、一人もいませんでした。