いい女よりもいい男の数は少ない

男の恋愛ブログです。
過去の記事は随時掲載していきます。
以前読んで下さっていた方、ありがとうございます。

好きだ

2016-04-04 23:48:28 | 日記
自分が明日大阪に引っ越したら大阪の人と恋愛ができて、沖縄に引っ越したら沖縄の人と恋愛ができる。

「すべてを捨てて引っ越す事ができれば、自分は誰とでも付き合う事ができる」

30を過ぎると誰かを好きになる事自体が減る。言い換えると、良い恋愛ができるかどうかよりも、まずは誰かを好きになる事が尊いのだ。好き。その気持ちが胸いっぱいに広がって、「ああ、好きだ」と改めて実感するあの感じがしたのはいつだっただろうか。


あの太陽のように

2016-04-04 22:23:35 | 日記
自分の目線はどうしても下の方にある。23でデビューした時とそんなに変わっていないんじゃないかとさえ思う。自分は下で、他人は上。自分はいつも池のほとりにいて、空で輝く太陽を見上げ恋焦がれる。自分もいつかあの太陽のように輝きたい。その想いは今もきっと変わらないままだ。

その「目線」のせいか、ゴーゴーとトレーナーという立場の相手に敏感に反応する。大昔に手に取ったフライヤーで微笑んでいた完璧なゴーゴー、ジムに行けば圧倒的にカッコ良かったトレーナー達。自分にとって神のような存在であった彼らがいとも簡単に手に入った。

手に入ったかどうかは別として、実際にヤリ目的の時にはいくらでもヤレた。マッチョなウケしか募集していないのだから相応の職業の人に当然偏る。消防士や選手、体操部やらレスリング部やら、やるだけであれば意のままに集める事が出来た。真面目な出会い系で上手くいかず、体育会系とHするなどDVDの中だけのファンタジーだった自分にとって衝撃だった。

20代 デカマラ バリタチ 都内場所有り 

当時、この書き込みだけで毎日やれた。20代のパーソナルトレーナーとは一緒にトレーニングをした後部屋でSEXした。20代のゴーゴーはイベントの翌日にSEXした。20代のビルダーは全裸でポージングさせた後犯して、20代の格闘家は2丁目で飲んだ帰り道で露出させた。

自分はあの時何かを手に入れた気がして最高に心が充足されたのを覚えているが、実際には何も得てはいなかった。たかが体だけがいい男達だ。マッチョな体が目の前で射精して感動しても、それもいつかは慣れる。ケツが良かっただの、チ○ポがデカかっただの、どうでもよくなるのだ。だったら、手をつないでくれる男がいい。

やるだけで会ったのに「ちょっとコンビニ付き合って下さい」そう言ってアイスを買ってくれた男がいた。
帰る時、「また来てくれてもいいっすよ」と言ってくれた男がいた。
射精する時に一生懸命指を絡めてくれた男がいた。

なぜ、自分は彼らを選ばなかったのだろう。


何もない人生

2016-04-04 21:49:33 | 日記
ジムでよく話しかけてくる男性がいた。別に嫌な気はしなかったのでその後もジムで会えば軽く挨拶を交わす間柄になった。

彼はよく色々な人とジムで話していた。笑顔が爽やかだし人気者のように見えた。自分から積極的に話し掛けていくスタイルはただただ凄いなと感心した。彼のFBやインスタを見ると、イベントや旅行、ちょっとした食事などあらゆる場面で誰かと一緒にいる彼の画像で溢れていた。

初めてジム外で待ち合わせて一緒にコーヒーを飲んだ。彼がやって来た時、香水が強いなと思ったものの、すぐに忘れて話に没頭した。

彼と話していて気になったことがある。単発の話が多いのだ。「誰とどこに行った」はいいが、その後どうなった、という話が全くないのだ。アプリで出会った、この前のイベントに行った、大阪に行った。で、その人とはどうなったの?と聞くと、出会った相手とはHしてそれからは会ってない、イベントに行った人は友達だけどそんなに普段連絡は取り合っていない、大阪の人は向こうで初めて待ち合わせて会った人。突き詰めるとそんなのばっかだ。人間関係が継続していないのだ。SNS的というか、キャッチーな画像は次々と用意できるが、画像など今更取らなくてもいいような長く親しい付き合いの相手が全くいない事が分かった。

人当たりが良くて、いつも誰かとキラキラしているようなイベント事をSNSに上げていて、色々な人と色々な予定を入れているから忙しくて、実は空っぽな男。普通に生きていたらFBにオシャレな画像が溢れるような生活にはならないはず。何もない生活が怖いのだろう。何もない人生だと思われるのが。普通に生きている事は何もない人生ではないのだが。

仕事が終わったらジム、休みの日はFBにアップするような事がなければジムに行って発展場か出会い系でヤリモク。リア充風ゲイの大半は着飾っていても中身はこんな感じだろうか。