先日同級生の葬儀があった。
行年67歳。不治の病死だった。
余りにも突然で早すぎる別れ。
団塊の世代、仕事一筋とは良く言われるが・・・。
関屋中学3年11組。
あれから50年余。
以前同級会の案内は何回かあったが私は参加した事がなかった。
担任が他界した時も案内を頂いたが出席しなかった。
何時も何人かの幹事の中に彼の名前があった。
彼とはわりと気があって親しい中学時代だったと思う。
3年ほど前新潟市近郊だけの同級会に始めて参加した。
10人程の親父とおばさんがそれぞれの近況の話題で花を咲かせた。
私は中学時代の出来事で担任を尊敬できない事もあっていい思い出を思いだせないでいた。
それでも酔った勢いもあってその頃に戻ったように懐かしい時が過ごせたのだった.。
二次会、皆で彼の行きつけのスナックを何軒かはしごした時
「飯原、会社の接待費いくらだと思う。」カラオケの後彼が聞いてきた。
大学卒業後新潟でデザイン関係の会社を立ち上げ絶好調だった。
公的な取引仕事も多いらしく彼らしい努力にその時の彼に羨望も感じた。
「でも体が一番だぞ・・」気持では忠告していた。
プレッシャーも相当あったのだろう。
若い後継社長の弔辞の後
喪主で奥様のお礼のご挨拶があった。
彼の人生の壮烈な一こまを顧みた気がした。
その頃の同年少なからず仕事一筋、
これも人生だとつくづく思った。
雨男、あれだけ晴れの日中、
葬儀の最中、落雷吹雪となった。
・・・・。
今は空しく悲しい。
通夜ぶるまいの席賢明で素直な息子さんと三人のお嬢さんが挨拶にみえた。
安心しろ誰よりも立派な人生だったなA君。
思わず涙があふれた。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。