遅い時間で少々戸惑ったが電話を掛けてみた。「はい、金子です」奥様だった。「今お風呂ですので上がったら電話させます。」丁寧な返事が返ってきた.
あの頃は会の行事でも山形釣行が盛んだった。そして今日9月の日曜日、相棒の小島氏とその五十川にいた。増水が落ち着いた絶好のコンデションにヤマメの活性もよく交互にポイントを釣り上がったのだった。ブナの大木が水辺からせり出して上流に大きな渕を構えた厄介な川縁を少し掛け離れた笹薮の中ようやく足場のいい砂場に降り立つことが出来た。ゆったりとした深く暗い日陰の底には如何にも大物が潜む雰囲気があった。以外や何投かの誘いにも当たりは無かった。5.3の渓流竿では大木のえぐれた根まで餌を沈めるのが難しいのか?と思いつつ・・。瞬間いきなり食いついてきた。0.6の通し仕掛けを引っ張ったままゆっくりと上流へと目印を運んだ。竿先に感じる重い手ごたえはかなりの大物を実感した。「40いや50はあるかも?。」下流へ走られたらひとたまりも無いだろうな。幸いちょうちんではないので何とかやり取りすれば獲れそうな距離感ではあった。・・と、いきなり二度ばかりいやいやと首を振るような手ごたえにふっと目印が宙にひらめいた。あっけない幕切れは残念で姿さえも見せなかった大物への未練ばかりが後に残った。得体の知れない大物、サクラもいる渓流だがあのゆっくりとした動きは岩魚だったに違いない?。完全に50以上だった・・。後から追いついた相棒に興奮しながら今の出来事を話した。久々に若い頃の様に熱くなった。・・丁度その前日(土曜日)増水の五十川に奈良前会長と金子さんが釣行していて大岩魚をバラしていたという話を聞いた。もしやして金子さんが掛けた大物とはあの時のあの同じ大物だったのでは・・と。
電話のベルが鳴った。「どうも・・」何時もの金子さんの人懐こい笑顔が受話器の向こうで感じられた。「昨日の五十川は雨後の増水で本流を諦め支流の沢を攻めました。04の仕掛けでもう少しでタモに取り込めるところだったのですが錘の結び目から切られてしまいました。でっかい岩魚でしたね。50は優にありました。」残念そうな声が聞こえてきた。そして私は今日の出来事の始終を話した。「いるんですよね。海から差して来るのも居るし。」確かにサクラマス、遡上鮎はもちろん鮭も見たこともある。嬉しくなった。私のバラしたポイントは全く違う上流の本流、確かにこんな大物が何匹もこの小渓流に潜んでいるなんて。・・金子さんとは会の釣行会で魚野川の鮎釣りでご一緒したことがあった。釣果の話仕掛けの話ではお互い釣師多いに意気投合したときの事を思い出した。笑顔で接する穏やかな人柄が誰からも好かれるのだろうとその時思った。・・結果同じ渓流で同じ頃に超大物と対峙してともにアンラッキーな結末を経験、渓流釣りの悔しい出来事に何か不思議な岩魚というサカナにのめり込む釣師の因縁めいたものを感じていた・・・。
そしてあれから11年、今年早々訃報が届いた。金子さんの死だった。今その時の電話の金子さんを思い出している。私よりもひと回りも若い在りし日の釣り姿を思いつつ五十川での出来事が目に浮かんだ。・・なんとも悲しくて言葉にもならない。・・・。そしてその電話には続きがあった「実はあの大物を釣りたくて・・今日、又行ったんですよ。」「ええ・・?」高速1時間半飛ばして50には届かなかったものの見事40センチの大岩魚を釣り上げたそうである。多分渓流釣師ならばバラした超大物に会いたくて翌日もなんて気持ちは全く理解できるものなのだ。・あれからあの五十川で幻の大岩魚に出会えることが出来たのだろうか?。知る由もない。・・・心よりご冥福をお祈り申し上げます。