7月17日から22日まで一般公開されている日比谷の第一生命館にあるマッカーサー執務室を、昨日訪ねました。
10時半から1日200名の限定無料観覧を許すという話だったので、朝の仕事を終えた10時20分ほどに高田馬場にあるGump Theatreを出て、ビアンキのミニベロを漕ぎ出して日比谷に向かいました。
すでに30度以上あるような暑さの中、10時50分に到着。しかし、無情にもすぐには見学不可能という対応。最も早くて13時50分の回だとか。仕方ないので、とりあえず整理券をもらいます。
しかし、3時間も日比谷で時間を潰すのは手持ち無沙汰。35度を超えようとする大手町を抜けだし、いったんGump Theatreに帰ることにしました。
途中飯田橋の小諸そばで二枚もりそば(290円)を食べて、腹ごなしと水分補給。Gump Theatreに戻ったのは、12時前。かなり疲れています。35度の暑さの中1時間ほど自転車を漕いでいたのですから、当然です。
それでも、仕事は残っています。まずは、下書きしていた裏ブログを推敲してアップロード。それがすむとしばらく休憩。1時までに元気が出なければ、日比谷再訪は断念するつもりでいました。
ですが、今日しかチャンスはないと思うと、疲れた身体にムチが入ります。1時過ぎにまたもや自転車にまたがり、日比谷をめざします。ムンムンと焼けたアスファルトがペダルを漕ぐ気分を萎えさせますが、いましかないと思うと、意外ともつものです。
着いたのは、1時40分。中に入ると、すでに13時50分の整理券をもらったひとたちがエレベーターの前に並んでいます。そこへ行くと、「資料展示室ご案内」、「第一生命のあゆみ」という2種類のパンフレットを渡されます。
それを読みながらしばらく待っていると、受付が始まります。住所と名前を記入させられて、赤い紐のついた「マッカーサー記念室特別入館証」が渡され、首から書けるようにと言われます。シリアルナンバーは、「1429」でした。
そして、エレベーターで6階まで。女性社員が、臨時のエレベーターガールを勤めます。急遽慣れない仕事を押し付けられて混乱しているのが明らかです。
6階に着くと、かなり南のほうに歩きます。執務室は617号室。
入ると、当時のカーペットが敷かれていますが、相当汚れています。
殺人現場のようなシミがついていますが、どうしてなのでしょう。
執務室に入ると、意外と狭い(16坪)のでビックリ。マッカーサーのことですから、広い部屋を占拠していたと思っていたので、やや驚きます
机と椅子です。椅子は、かなり傷んでいます。
来客用の椅子はこれです。こんなみすぼらしい椅子に昭和天皇は座らされたのでしょうか。
周りには、いろいろな記念品が飾られています。
とにかく、この部屋で大東亜戦争後の日本の運命が決まったと思うと、複雑な思いです。マッカーサーを歴史上の偉人のようにベラベラと観光ガイドを務めている20代と思しき第一生命社員の女性が鬱陶しくてたまりません。マッカーサーのせいで、いまの日本の体たらくがもたらされたのに、そんなことは何も知らないのでしょう。
この部屋で、日本国憲法が完成され、戦後60年われわれを縛っているのです。いま現在中国やロシアや韓国から足元を見られてしまっているのも、日本がこの男に屈服したから。とてものんきな気持ちで、立てる場所ではありません。
それにしても、この部屋に訪ねなければならなかった昭和天皇の境地やいかばかりか。戦争たるもの、負けてはいけないと痛感させられたのでした。
滞在時間約15分。外に出たら、さらに暑さがこたえました。