夢と希望と笑いと涙の英語塾

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遊就館で英語を学ぼう

2005年07月30日 15時16分44秒 | 英語学習法
この7月27日水曜日、中学一年の長男を連れてゴウ先生は、東京都心をぐるりと歩いてみました。

高田馬場からまずは地下鉄東西線で九段下まで。そこがスタート地点です。いつも通り、靖国神社にお参りして、遊就館に向かいます。靖国に来た時のパターンです。この間は4月の初めに来ましたから、ざっと4ヶ月ぶりですが、やっぱり遊就館に行かないと調子がつきません。

夏休みの間は、小中学生は無料ということで、ゴウ先生だけ大人800円を支払います。もう5回は来ているので、この辺は勝手知ったるもの。すぐにエスカレーターで2階に上がります。

本格的な陳列室に入る前のところに映写室が2部屋あり、2種類の映画が見られます。一本は、日露戦争戦勝100周年ということで『明治天皇と日露大戦争』。嵐寛寿郎が明治天皇を演じて話題を呼んだ1957年の映画です。

残念なことに、映写室の中の豪華な音響設備に比べて映像機材が時代遅れのボケボケで、ゴウ先生のようなマニアには到底直視に耐えません。投影機を最新のもの(DLPなど)に換えればよいものをと常に思います。もともとのDVDの状態もあまりよくないこともあるとは承知しているのですが。

もう一本は、『私たちは忘れない』という靖国神社の肝煎りで作られた、日本の近代軍事史を50分にまとめた秀逸なものです。ナレーションを浜畑健吉・上村香子夫妻が務められていて見ごたえのあるドキュメンタリーです。これまで子供たちには見せてなかったので、今回は息子に見てもらおうと思っていました。

そしたらば、我が息子、親父の意図を知ってか知らずか、食い入るように見つめていました。ゴウ先生は何回も見ているので、不謹慎ながら、多少途中眠らせてもらいましたが(何せ寝不足の上に、朝早くにジムでウェイト・トレーニングもしてきたもので、スイマセン)、やはり最後の10分間は姿勢を正して見てしまいます。

靖国がドウタラコウタラとおっしゃる方は、この映画で語られていることには到底我慢ならないものがあるのかもしれません。でも何となく靖国神社=怖い右翼と思っている方には、ともかく見てもらうしかないと思います。それで不快な思いしか残らないとすれば、非常に残念だとしか言えません。まずは歴史を正視することからしか議論は始まらないのですから・・・。

それを見終わると、一般展示を見て回ります。何がどこにあるのかほとんど頭に入ってはいるのですが、やはり色々新発見があります。

まず、この遊就館の陳列は、幕末から大東亜戦争までの道のりを俯瞰するには秀逸な出来だと評価できます。分かりやすくボードに図示されている内容をノートを取りながら丹念に読んで行けば、自然と近代日本史の権威になれる可能性があります。何せ、日本の近代は、戦いに次ぐ戦いで出来上がったと言っても過言ではないからです。

たとえば、幕末史は、簡単に言えば、諸外国の内政干渉からテロの続発、そして内乱へとつながる血生臭い革命史です。やはりこのような靖国神社がなければ、国のために命を失った人々の荒ぶる魂の行き場がなくなる思いがします。

そしてそれは富国強兵の帝国主義を志向する時代においてはなおさらです。日清・日露は言わずもがな。それから続く第一次世界大戦に満州事変、支那事変、そして大東亜戦争。1850年前後からの100年足らずの間に日本人は戦さばかりを行っていたのです。

それが客観的な事実ですから、立場はどうあれ、国のために亡くなられた方に一定の敬意と感謝を表すのはごく自然なことだと思うのであります。そんな風に遊就館に来る度にいつも思います。愛国という言葉を用いることすら危険思想とする日本ではなかなか通じないのかもしれません。残念です。

とはいえ、1年に2回から3回は訪れるのですから、毎回何かしらの課題を自分に与えるようにしています。そうしないとどうしても雑な見方になってしまいますから。

そこで今回の課題はずばり、遊就館で英語力アップを図れるかどうかの実地調査であります。

遊就館を訪れた方ならばご存知でしょうが、ボード説明のかなりの部分に和文と同時に英文が記されています。それを前回ちらっと見ていたら、本当に格調高い英語で書かれていたのに驚いてしまいました。国際的な博物館ですから当たり前のことなのですが(事実、外国人の入館者は多いです)、それまで和文の説明は読んでも英文説明は飛ばしていたので、その当たり前のことに気づかなかったのです。

そこで今回はできるだけ丁寧に英文説明を読んでみました。もちろん子連れで時間も限られていましたから、すべての英文を読んだわけではありませんが、それでも確信が持てました。

遊就館で日本の近代史のみならず、英語も勉強できる!

海外で日本を代表したければ、朝から遊就館に来て、ノートを取りながら、英文説明を全部読みなさい!

もう、最高の英語教材だらけだと、ゴウ先生、感服しました。たとえば、次の日本語を英語で言えますか?言えたら、尊敬します。

大東亜戦争
連合艦隊司令長官
抑留

正解は次の通りです。

The Greater East Asia War
Commaner-in-chief of the Combined Fleet
internment

ゴウ先生が選んだこの3つ、無作為ではありません。種類の違う用語を選んでいます。

まず「大東亜戦争」は、日本政府が先の大戦にまつわるあれこれを――ある意味「勝手に」――名づけた正式名称の代表として選びました。ですから、この種類の用語の英訳語を見ることで日本が考えたあの戦争の理念が分かります。たとえば問題のThe Greater East Asia Warの場合、”Greater”という比較級が使われている点など――はっきりとした理由は分かりませんが――これまでのどの東アジアで起きた戦争よりも大きな戦争になるという覚悟を秘めているのだと解釈できます。大本営の意地が見える気がするのです。

2番目の「連合艦隊司令長官」は、全世界の軍隊に通じる英訳語の代表です。日本海軍という英米系の常識を重んじた組織が使用した英語ですから、当然グローバルな普遍性がある表現が求められます。その意味では、すべてに隙がなく、Commander、 chief、 Combinedと”C”で始まる単語で揃えられている上、Commanderと Combinedでは韻も踏まれています。下衆な表現をすれば、「超カッコイイ」名前です。これでこそ憧れの対象となれるものです。

そして最後の「抑留」は、普通名詞の代表として取り上げました。「インターン」というと、医者か何かの卵のようなイメージがありますが、動詞のinternは「拘束する」「抑留する」という恐ろしい意味で、internmentには、「拘束」「抑留」の意味しかありません。60万人以上の日本兵がソ連の国際法違反により不当に強制労働された事実を表すには一番ふさわしい単語なのです。

このように、戦争を取り巻く三種類の言葉をきちんと押さえながら英単語を覚え、かなり難しい英文を読みこなしていけば、日本の近代史も頭に入るし、勉強になること疑いありません。

もちろん、上に挙げた表現など、適当な本を探すか、インターネットで検索すれば、すぐに分かるでしょう。しかし、それを敢えて800円払ってあの遊就館で幾多の遺品を目の前にしながら読むことで、リアリティが生まれ、頭に入るというのがゴウ先生の提案なのです。

ところで、リアリティと言えば、次の言葉の英訳が分かりますか?

日清戦争
日露戦争

正解は、次の通りです。

The Sino-Japanese War
The Russo-Japanese War

つまり、明治の末ではまだ「清日戦争」「露日戦争」という相手優位の呼称を受け入れていたのです。大国に対する遠慮でしょうか。そこからかつての先人たちは力をつけ、これほどの存在感を世界に知らしめる日本にしてくれたのでした。そのことを知らずして、現実は語れないのです。

日本が本当に国際社会で確固たる発言力を持つためには、日本のことを深く愛するだけでは足りません。歴史を知るだけでも足りません。もちろん、中身のないことをペラペラ喋るだけの英語力では足りません。この3つ全てがどれ一つ欠けずにあって、初めて役に立つのです。

この夏、イデオロギーを越えて靖国神社に詣でられたら、遊就館でじっくりと陳列品ならびに解説と対峙してみてください。反論・異論はそれからのことだと思います。

なお、日露戦争のコーナーの短い映像フィルムが変わりました。画像は鮮明になり、名前は分かりませんが、(多分)日テレの「まさかのミステリー」などをしているナレーターがやっています。ゴウ先生としては、以前のフィルムがよかったのですが、今回の方が日露戦争を簡便に学べるようにはなっています。もちろん、一階の日露戦争展もお忘れなく。

その後、ゴウ先生と息子は、北の丸公園の科学技術館で遊び、大手町まで出かけ、丸ビルに寄って博多ラーメンを食べ、日比谷通りを通って東京タワーに登ってきました。

東京タワーは、中国人・韓国人・在日米軍兵士家族で占拠され、ゴウ先生たち日本人は肩身の狭い思いをしたのでありました。いまの世界における日本の現状を思い知らされる光景です。

高所恐怖症のゴウ先生が、大展望台はもちろんのこと250mの特別展望台まで上りました。窓だらけのエレベーターがゴウ先生に恐怖と後悔を投げつけたにもかかわらず。

それでも生まれて初めて登った甲斐はありました。快晴の東京は実に素敵な街でした。ゴミゴミしているけれど、愛すべき街だったのです。

この街をゴウ先生は愛します。この国をゴウ先生は愛します。

もちろん、『私たちは忘れない』を見てきたばかりの息子には、終戦の玉音放送を聞いて泣きながら皇居に土下座した人がいたのはさっき歩いてきたあそこで、マッカーサーが職務についていたのは前を通ったそのビルで、戦勝一周年記念パレードをやったのはそこの内堀通りであることが分かったことでしょう。

そしてフィルムの中で瓦礫の山だった大手町が、銀座が、新橋が、日比谷が、東京が60年の時を経てこれほどの隆盛を極めた背景には、戦中・戦後闘い抜いてきた日本人の英知と努力があったことを、自分が歩いてそして高いところから見て分かったことでしょう。

帰り道、息子に聞きました。「どこが一番面白かった?」って。そしたら、「遊就館の『私は忘れない』かな」と言ってくれました。嬉しかったです。

ささやかながら闘います、ゴウ先生。息子のために。娘のために、未来の日本人のために。ちょっと偉そうですが・・・。(でも骨折していた左足がパンパンに腫れあがってしまいました。)
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1 コメント

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感動しました (Mic)
2005-08-01 21:59:28
素晴らしい記事を掲載いただき、ありがとうございました。



そもそも遊就館が何たるかを知らない私にとって、遊就館に興味を持つ大きなきっかけとなりました。



愛国心が弱く、歴史を知らず、英語力のない私は文字通りゼロからのスタートです。



まずは遊就館に足を運ぶことから始めたいと思います。
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