沼に隠された武器
海軍燃料廠建設のポンプ施設と伝えられている遺構 (西日野町)
1940年代に四日市の沿岸部に建設された第二海軍燃料廠は、空襲を恐れ、1944年10月から日永の山中に燃料工場や貯蔵庫などを建設しました。現在も山の中に貯蔵用トンネルの一部が残されていますが、入り口はコンクリートで密閉され、入ることはできません。建設した北川組の資料によると、トンネルは戦争当時「秘呂」と呼ばれていました。
戦後、山の周辺は公園や住宅地となり、かつての山林が残っている場所はわずかとなりました。日永の山の西側にある住宅地西日野町(*註1)の中腹に、深くて大きい運動場があり、その運動場を見下ろす山頂付近に、コンクリート製の橋脚のようなものが数本残っています。
地元の人の話によると、戦争中、この辺りは沼地で、銃などの武器が大量に隠されていたそうです。その沼から水を吸い上げるために、山頂にポンプ設備を建設しようとしたようですが、完成することなく敗戦を迎え、そのまま放置されたといいます。
沼も戦後長く放置されていましたが、加藤寛嗣市長時代(1976~96年)に、地元の要望で埋め立てられ、住民が使える運動場に整備されたとのことです。その際、投棄されていた武器類が引き上げられることはなかったようです。
*註1 西日野町
現在残っている山の東側は日永、西側は西日野町になります。
奥が見えにくいですが、露出していて確認できたのは8柱。
周囲に最近捨てられたと思われる廃材や金属製のレールも見えます。
ポンプ設備(?)遺構から見える溜池跡(現在は運動場)。この写真では見えませんが、前方の山のこちら側に、海軍燃料廠の貯蔵庫だった防空壕の穴が2ヵ所残っています。
左側の小山の前がポンプ設備(?)遺構。
(写真撮影 2012年2月)
第二海軍燃料廠関連施設(日永) 位置図はこちら
http://blog.goo.ne.jp/inorimusigib/d/20131001