B29の攻撃に耐えた樹
1945年、四日市はアメリカ軍の戦略爆撃機B29による空襲を受けました。
特に、初めての攻撃となった6月18日未明、およそ1時間にわたる爆撃の被害は甚大でした。死者736名、重軽傷者1,500名、行方不明63名、被災者47,153名といわれ、市街地は廃墟となりました。
この後も8回の空襲があり、市街地から少し離れた日永にある西唱寺も被災しました。
空襲を経験した先代の住職が伝えた話によると、西唱寺と隣家など数軒の民家が焼失しました。寺の菩提樹は、B29の直撃を受け真っ二つとなりましたが、手当され、その後も毎年白い花が咲くそうです。
『四日市市戦災誌』によると、日永地区が被災したのは、6月26日と7月9日でした。6月26日には建物の被害は記録されていませんが、2名が亡くなりました。7月9日の空襲では犠牲者は出なかったものの、住家2軒が全焼し、1軒が半焼しました。西唱寺の被災は、この時のことと思われます。
(2013年12月記)
参考
『四日市市戦災誌』(『四日市市史』資料編 近代)