いのりむし文庫

いのりむし斧舎 ⒸNakajima Hisae

塩浜小学校

2013-10-15 | よっかいち 人権の礎を訪ねて

コンビナートの見える学校

    塩浜小学校

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 四日市では、第一コンビナートの建設にともない、1962(昭和37)年頃より塩浜地区の学校にも大気汚染や騒音などの影響が問題となり始めます。

 昭和四日市石油四日市製油所の西に隣接していた塩浜中学校では、悪臭と県道の騒音で授業が中断されるほどでした。同じくコンビナートの南の塩浜小学校でも、児童の健康に影響がみられるようになります。特に被害が深刻であった塩浜中学校は、1968(昭和43)年、600mほど南西の現在地に移転しました。

 塩浜小学校は市教育委員会の研究指定を受けて、公害と児童の健康という課題と取り組み、1965(昭和40)年「公害から児童の健康をどう守るか」という実践報告をおこないました。肺機能障害の調査や、大気汚染の児童への影響を分析し、公害から児童を守るため、体力・抵抗力をつける保健実習の強化がすすめられました。
 報告書には、先行する研究や教育実践がない中で、研究指定されたことがきっかけとなり地域の課題にこたえようと公害の問題に取り組むことになった気持ちが、次のように述べられています。

   
   この汚染された空気の中に住み且つ学ぶ一千数十名の児童をそのままにしておけるものだろうか。少しでも身体への影響を防ぎたい。その為には教育として学校がしてやれることがあるのではなかろうか。このような悲願から、公害と教育とを結んで研究し実践しようと思い立ったのである。(『公害から児童の健康をどう守るか』四日市市教育委員会 四日市市立塩浜小学校 1965.10.27)

 1966(昭和41)年5月の公害認定患者のうち児童・生徒は38人で、塩浜小学校の児童は21人でした。1967(昭和42)年10月には、塩浜中学校の女生徒が、ぜんそくの発作で亡くなりました。1970(昭和45)年になると、小学生の認定患者は125人(うち塩浜小児童34人)に増加しました。

 公害対策として塩浜小学校で取り組まれたのは、空気清浄機の設置、毎日継続して行った乾布まさつとうがい、マスク、肝油の服用、防害植樹などでした。

■空気清浄機
1964(昭和39)年5月、 四日市市と三重郡楠町が、ばい煙規制法の規制地域に指定されたため空気清浄機の設置が検討されました。6月、汚染地区と非汚染地区の小学校に設置して実験を実施したところ、効果が認められたので、1965(昭和40)年4月には、汚染地区の幼稚園、小・中学校に、189台の空気清浄機が設置されました。塩浜小30台、三浜小28台、納屋小16台、東橋北小18台でした。
当初は、塩浜小学校でも、一年生は全教室、二年生以上は奇数学級のみの設置でしたが、やがて教室毎に設置されるようになりました。空気清浄機を有効に使うためには、教室を密閉しなければなりませんが、夏場冷房のない教室の窓を閉めて運転することは、たいへん難しいことでした。

■乾布まさつ
乾布まさつは、日課の中で、全校一斉、音楽に合わせておよそ10分間行われました。子どもたちが楽しく実施できるように、塩浜小学校独自の「乾布まさつの歌」が作られました。

■うがい
うがいは、授業の間の休み時間、給食前に、全校一斉に、また、体育や清掃の後には学級で行われました。水、食塩、オラドール、重曹、ハッカなど、薬剤の実験も重ねられ、うがい場も整備されました。各階に80、全校で240の蛇口が設けられました。今も、塩浜小学校のうがい場に残る「ただしいうがいのしかた」には、次のように記されています。

  頭をうしろにさげるようにして上をむき 目はてんじょうをみる
  口をあけて「がらがら」と10回ぐらい声をだしてはきだす これを3回くりかえす
  のどのおくまで水をいれてよくあらいだす
  1日に6回する(2回はくすりで)


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写真提供 澤井余志郎さん

■マスク
全児童、全職員は、活性炭の入った特殊なマスクを常時携帯し、登下校や悪臭のひどい時に使用しました。「公害マスク」「黄色のマスク」などとよばれました。汚れたマスクは、洗って使用しました。

■防害植樹
空気の清浄、防煙防塵の効果と美観、教育効果を考えて、特にコンビナートのある北側に常緑帯が設けられました。有毒ガス、ばい煙、ばい塵に強く、当該地の気候や土壌に合った樹木が選ばれ、ポプラ、くろまつ、さんごじゅ、あかまつ、くすなどが植えられました。

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塩浜小学校にやってきた煤煙測定車 1967年11月
写真提供 澤井余志郎さん

現在の塩浜小学校(2012~13年撮影)


●うがい場 塩浜小学校では、各階に設置されています。

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●郷土資料室
1994(平成 6)年3月 改装されました。
寄贈された昔の生活用具や漁具、大気汚染が激しかった時代の学校の様子を伝える写真などがあります。四日市公害裁判の原告のお一人である野田之一さんも、かつて使用していた船の艪(ろ)や魚網を寄贈されています。

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●4階展望台から隣の第一コンビナートが間近に見えます。

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グランドから、川を挟んで南にある昭和四日市石油のタンクが見えます。
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(2013年2月記)

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