隠蔽された「切ない恋」の物語
~夏目漱石『こころ』批判6/7
- 御嬢さんが僕を好きなんだ
『こころ』は虚偽の暗示によって成り立っている。
彼の重々しい口から、彼の御嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像して見て下さい。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」三十六)
「彼」は「K」と呼ばれている青年だ。
「重々しい口」は意味不明。
「御嬢さん」の名は「静(しず)」(上九)という。
「彼の御嬢さんに対する切ない恋」の物語について、語り手である「私」つまりSは、微塵も語らない。
この場面は、漫画版では、次のようになっている。
「お嬢さんが好きなんだ」(バラエティ・アートワークス『こころ まんがで読破』)
「私はお嬢さんのことが愛しい」(小野進『こころ』)
(Kの台詞はない)(吉崎凪『コミック版 こころ』)
「……実は 俺は…… お嬢さんに惚れているようだ」(『マンガでBUNGAKU こころ』)
「お嬢さんが好きだ どうしようもなく好きなのだ 気づけばいつもお嬢さんのことばかり考えている」(高橋ユキ『名著をマンガで! こころ』)
私の想像では、KはSに「お嬢さんが好きなんだ」と語ったのではない。〈お嬢さんが僕を好きなんだ〉と語ったのだ。
SとKが本音を軽々しく口にしたら、次のような展開になっていたろう。
K お嬢さんが僕を好きなんだ。誘われてフラフラ。
S お嬢さんが僕を好きなんだ。誘われてユラユラ。
静はKを好きだったのだろうか。不明。静はSを好きだったのだろうか。不明。静はSからKに乗り換えたのだろうか。なおさら不明。静は、Sを嫉妬させたくてKを「媒鳥(おとり)」(夏目漱石『彼岸過迄』「須永の話」三十一)として利用したのだろうか。不明。
- エロトマニア
『こころ』の作者は、SとKの妄想の物語を隠蔽している。Sを「先生」と呼ぶ青年Pも同様の妄想を抱きやすいタイプらしい。彼らは「色情狂」(夏目漱石『行人』「友達」三十三)だろう。ただし、狂気の発現を抑えようとして苦しんでいる。
被愛妄想(エロトマニア)?
はい あまり一般的ではありませんが… ひらたく言ってしまえば「自分は意中の人から愛されている」と―― 誤認してしまう状態の事です
(中村卯月『被愛妄想』「彼女が僕を殺す理由(わけ)編」)
「切ない恋」は「被愛妄想」の症状だろう。
SはPに「私は淋(さび)しい人間です」(上七)と自己紹介する。意味不明。Pには理解できなかった。「淋(さび)しい」の隠蔽された意味は〈被愛妄想を抱きやすい人間〉といったものだ。
- 被愛妄想と被害妄想
夏目漱石のほとんどの小説の隠蔽された主題は被愛妄想だ。ただし、その被愛妄想は被害妄想と表裏一体になっている。被愛と被害の二種の妄想の主題が入り混じっているわけだ。作者はそれらを仕分けできない。そのせいで意味不明になっている。
作者は、作中人物の混乱した感情を文芸的に表現しているのではない。隠蔽しているのだ。隠蔽したまま、意味不明の文言によって本音を暗示するのに留めている。こういう暗示は、文芸的な技法ではない。メンタリストのDaiGoなどがお得意の仄めかしによる誘導の一種だ。
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ミットソン:『いろはきいろ』#051~088
http://park20.wakwak.com/~iroha/mittoson/index.html
志村太郎『『こころ』の読めない部分』(文芸社)
志村太郎『『こころ』の意味は朦朧として』(文芸社)
(終)