ヒルネボウ

笑ってもいいかなあ? 笑うしかないとも。
本ブログは、一部の人にとって、愉快な表現が含まれています。

(書評)岸本裕史『ドラえもんの学習シリーズ ドラえもんの算数おもしろ攻略 改訂版 算数まるわかり辞典 4~6年生』(小学館)(3)

2024-04-03 01:14:52 | 学習

   (書評)

   岸本裕史『ドラえもんの学習シリーズ ドラえもんの算数おもしろ攻略 改訂版 算数まるわかり辞典 4~6年生』(小学館)

(3)3けたでわる筆算(p18~19)

「18000÷500のような計算は、わる数とわられる数の0を同じだけ消して、180÷5として計算できるんだ」(p19)と偽スネ夫は語る。なぜ0を消していいのか。しかも、同じだけ。その理由を彼は語らない。なぜ語らないのだろう。

「1800÷500=3あまり300」(p19)について、偽静香は「ただしあまりが出るときは、消した0の数だけ、あまりに0をつけるのよ」(p19)と語る。なぜ0をつけるのか。しかも、同じ数だけ。その理由を彼女は語らない。なぜ語らないのだろう。

考えずに筆算をやるのなら、つまり機械的にやるのなら、算盤や電卓を使おう。

「タケコプター」があるのに、なぜ、ドラえもんは歩くのか。

筆算を教わると三種類の人間が出来上る。一人目は、考えながらこつこつと筆算をする。二人目は、筆算を諦めて機械を操作する。三人目は、考えずに機械的に筆算をするが、本物の機械を使いこなすことはできない。

一人目は思想家で、二人目は技術者だ。一人目と二人目は重なる場合がある。三人目は誰とも重ならない。AIに答えを教わっても、その正誤を確かめることはできない。機械の奴隷だ。

偽ドラえもんは機械の奴隷を量産したいらしい。

(終)


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« (書評) 滝沢カレン『馴染み... | トップ | (書評) 岸本裕史『ドラえ... »
最新の画像もっと見る

学習」カテゴリの最新記事