神は愛 白髪は美の冠 白髪は輝く冠 

聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

「ロバに乗って山奥まで」修理に駆けつける。デルのサポートが神がかっている理由とは

2018年05月24日 | 日記

「ロバに乗って山奥まで」修理に駆けつける。デルのサポートが神がかっている理由とは

 


競合から来て、驚いた。「トップランクのサポート」の実態

白戸さんはかつて競合メーカーに所属していた。当時は、外から見てデルは製品や営業が強く、サポート品質は二の次というイメージがあったという。

「正直言って、デルはサービスという観点で戦う相手ではないと思っていました。

しかし、入社翌週に宮崎のカスタマーセンターへ見学に行き、非常にショックを受けました。自分が今まで思っていたことは、完全に間違いだったんです」

「電話を受けている人たちが全員正社員であることにも驚きましたが、何より、彼らの対応力に感銘を受けました。

とても難しい製品に関しても知識が豊富で、かつ全員がとてもモチベーション高く働いていたんです。

だからこそ、カスタマーファーストで、質の高いサービスが提供できるのだと身をもって実感しました」

先に述べたコマンドセンターでの緻密な管理なども、"デルだけ"のサービスではないかと、白戸さんは言う。


 

 


友情を育むには・真の友・・・聖書

2018年05月24日 | 日記

私は,エホバの証人ではありませんが,時々,
エホバの証人より配布いただいてる,「目覚めよ」誌・「ものみの塔」誌,パンフレット
より引用の記事もあります。
(どこの宗教,宗派にも属していません)
*いろんな宗教にも交わりました
(立正佼成会,創価学会,キリスト教のカトリック,プロテスタント等)
その中で,聖書に忠実に教えてるのは,エホバの証人と思います。




2010年12月25日のことです。
英国で42歳の女性が,良く知られたソーシャル・ネットワーキング・サイトに,自殺予告を投稿しました。
そのメッセージは,関心を払ってくれるよう必死に訴えるものでした。
彼女にはネット“友達”が1,000人以上いましたが,だれも助けようとはしませんでした。
翌日,その女性の遺体を警察官が発見しました。致死量の薬を飲んだのです。

今日,進歩した科学技術のおかげで,コンピューター上の連絡先リストに名前を記入するだけで,ネット“友達”を幾百幾千人も作れます。
また,だれかとの“友情”を絶ちたければ,リストからその人の名前を削除すればよいのです。
しかし,英国のその女性に関する悲惨な出来事は,どきっとするような現実 ― 多くの人にとって
真の友情を育むことは今も容易ではない,という現実 ― をはっきり示しています。
実際,最近の調査でも明らかになったことですが,知り合いは多くなっていても,本当の親友の数は減っているのが実情です。

大抵だれでも,『親友を持つことは大切だ』と考えます。
きっとあなたも,そう思っておられることでしょう。
そして,『友達であるとは,コンピューターの画面上で,あるいはスマートフォンで連絡先をクリックするだけのことではない』
とも考えておられるでしょう。どんな友達を持ちたいと思いますか。

どうすれば他の人の良い友になれるでしょうか。

永続する友情を育むには,どうしたらよいでしょうか。

指針となる以下の4つの点について,また,他の人から友達になってほしいと思われるような人になるうえで,

聖書の実際的なアドバイスがどう役立つか,考えてみてください。



『誠実な気遣いを示す』

真の友情には,相手と深くかかわることが関係しています。言い換えれば,真の友はあなたに対して責任を感じ,あなたのことを本当に気遣います。
もちろん,そのようなかかわりは相互的なものであり,どちらの側も努力や犠牲を払わなければなりません。
しかし,報いが伴うので,そうするだけの価値があります。
ですから,『わたしは友達のために快く自分自身を,つまり自分の時間や持っているものを与えるだろうか』と自問しましょう。
忘れないでください,良い友を得るには,まずあなたが良い友になる必要があるのです。



【どんな友達を持ちたいと思うか】
イレーネ: 「友情を培うには,ガーデニングと同じように,多くの時間と気遣いが必要です。まずは自分自身が良い友になることです。
愛情や個人的な関心を惜しみなく示し,必要なら進んで自分の時間を犠牲にします」。

ルイス・アルフォンソ: 「現代社会では,他の人よりも自分を大切にするようにと言われています。で
すから,だれかから誠実な関心を示され,何も見返りを求められないとしたら,それは非常にうれしいことです」。


『聖書もこう述べている』

「あなた方は,自分にして欲しいと思うとおりに,人にも同じようにしなさい。いつも与えなさい。そうすれば,人々はあなた方に与えてくれるでしょう」
(ルカ 6:31,38)

この聖句でイエスは,本当に利他的であること,また気前よく与えることを勧めています。
そのようにすれば,真の友情が育まれます。友のために,お返しを何も期待しないで自分自身を費やすなら,当然ながら友は心を引かれます。


【よく意思を通わせる】

真の友情は,定期的に意思を通わせなければ育まれません。ですから,一緒に共通の関心事について話しましょう。
友達の言葉に耳を傾け,その意見を尊重しましょう。できるならいつでも,褒め,励まします。
時には友人に助言や忠告を与える必要もあり,そうするのは必ずしも容易なことではないかもしれません。
しかし,友として忠節であれば,勇気を奮い起こして,重大な欠点を指摘し,上手に助けを差し伸べます。


【どんな友達を持ちたいと思うか】

フアン: 「真の友は,遠慮なく自分の意見を言ってくれます。こちらが同意しなくても,腹を立てたりはしません」。

ユーニス: 「友人の中でもわたしが特に大切に思うのは,進んで一緒に時を過ごして,話に耳を傾けてくれる人です。とりわけ,わたしが問題を抱えている時にそうしてくれる人です」。

シルビナ: 「真の友は,わたしを傷つけることになると分かっていても,本当のことを言ってくれます。それは,わたしの最善の益を心にかけてくれているからです」。



『聖書もこう述べている』


「すべての人は聞くことに速く,語ることに遅く,怒ることに遅くありなさい」。
(ヤコブ 1:19)

良い友は,耳を傾けることの大切さをよく知っています。一方,会話を独り占めする人は,他の人より自分の意見のほうが重要だというメッセージを発していることになります。
ですから,友人が内心の考えや心配事を話したがっている時には,よく注意を払いましょう。友人から率直に何か言われたとしても,気を悪くしてはなりません。
箴言 27章6節には,「愛する者の負わせる傷は忠実である」と述べられています。




【期待を現実的なものにする】


親しくなればなるほど,欠点も分かってくることでしょう。友達は完全ではありませんが,わたしたちもそうです。
ですから,自分が友とする人に完全さを期待したり要求したりしてはなりません。むしろ,相手の長所を高く評価し,間違いに目をつぶるのは良いことです。


【どんな友達を持ちたいと思うか】

サミュエル: 「自分自身に対するより他の人に対する期待のほうが大きくなりがちです。自分の犯す間違いや許してもらう必要性を認識していれば,他の人を許すことは容易になります」。

ザニエル: 「友達も間違いを犯す,という事実を認めることです。問題が生じたら,すぐに解決して忘れるよう努めるのは良いことです」。



『聖書もこう述べている』


「わたしたちは皆,度々過ちを犯すからです。言葉で過ちを犯さないなら,それは自分の全身を制御できる完全な人です」。
(ヤコブ 3:2)

この単純な事実を知っていれば,友人に対して理解を示しやすくなります。そして,いらいらの原因となる小さな欠点や短所を大目に見ることができます。
聖書にもこう述べられています。
「互いに忍び合い,責めるべきことがあっても,赦し合いなさい。主(神)があなたがたを赦してくださったように,あなたがたも同じようにしなさい。
これらすべてに加えて,愛を身に着けなさい。愛は,すべてを完成させるきずなです」。
(コロサイ 3:13,14)


【交友の輪を広げる】

確かに,良い友を選ぶ必要があります。とはいえ,選択範囲を特定の年齢や生いたちの人だけに限ってはなりません。
あらゆる年齢層の人,また文化的背景や国籍の異なる人に関心を払うなら,人生は本当に豊かなものになります。

どんな友達を持ちたいと思うか



ウナイ: 「自分と同じ年齢,同じ好みの人だけを友達にするのは,いつも自分の好きな色の服を着ているようなものです。いくらその色が好きでも,やがては飽きてしまいます」。

フンケ: 「交友の輪を広げることにより,人として成長できました。年齢や生いたちの異なるいろいろな人たちと仲良くできるようになったので,
以前よりも外向的になり,順応性が身につきました。その点には友達も気づいてくれています」。


『聖書もこう述べている』

「それで,あなた方も返報として ― わたしは子供に対するように話しているのですが ― 自分を広くしなさい」。
(コリント第二 6:13)

聖書は,あらゆる人と心を通わせるよう勧めています。

友情に関するこうした包容力のある偏りのない見方を持つなら,人生は変化に富んだものとなり,あなたは他の人たちから一層愛されるようになることでしょう。



                             



ニュース報道を信用できますか

2018年05月24日 | 日記

 


「ニュース報道を信用できますか」


ニュースで聞いたり読んだりする事柄に懐疑的な人は少なくありません。
例えば,米国で2012年に行なわれたあるギャラップ調査で,新聞やテレビやラジオのニュース報道の正確さ,
公平さ,漏れのなさなどを「どれほど信用していますか」と問いかけられた10人のうち6人が,
「あまり信用していない」または「全く信用していない」と回答しました。
そのような不信感には根拠があるのでしょうか。

ジャーナリストもその勤める報道機関も,正確で情報豊かな報道を行なうよう心がけている,と言います。
それでも,懸念材料があります。次のような要素について考えてみてください。


メディア王。非常に強力な一握りの企業が,主要なメディア支局を所有しています。
それらの支局は,どの話を取り上げるか,どのようにどれほど際立たせて扱うかに強い影響力を行使します。
ほとんどの企業の目的は収益を上げることなので,メディア支局は,経済的利益があるかどうかによって決定を下します。
報道機関の所有者の収益を阻害するような記事は,概して報道されません。

政府。わたしたちが報道を通して知る事柄の多くは,政治家や政府の行なう事柄と関係があります。
政府は,国民を説き伏せて国の政策や高官たちを支持させようとします。
報道機関は政府を満足させたいので,ジャーナリストと政府筋が協力し合うこともあります。

宣伝。大抵どの国でもメディア支局は,企業としてやってゆくために収益を上げなければならず,収益のほとんどを宣伝広告から得ています。
米国では,雑誌の場合,収益の50%ないし60%は広告からのものであり,新聞の場合は80%,商業テレビやラジオの場合は100%を占めます。
言うまでもなく,広告主は,自社の製品や経営スタイルに好ましくない印象を与える番組のスポンサーになろうとはしません。
あるニュース支局の報道が気に入らなければ,ほかの支局で宣伝できます。
編集者たちはそのことを知っているので,広告主のイメージダウンにつながるようなニュースの報道を差し控えるかもしれません。

不正直。リポーターは皆が皆,正直であるとは限りません。記事をでっち上げるジャーナリストもいます。
例えば以前,日本のあるリポーターは,沖縄のサンゴ礁がダイバーたちによって損なわれていることを取材しようとしたものの,
破壊されたサンゴが見つからなかったため,幾つかのサンゴを自分自身で傷つけて写真に撮りました。
写真自体も,大衆を欺くために加工される場合があります。写真を改変する技術は高度化していて,加工された箇所を見極めることは,実のところ不可能です。

誘導。しっかりした根拠のある事実であっても,それをどう伝えるかは,ジャーナリストの判断によります。
一つの記事にどの事実を含め,どれを含めずにおくべきでしょうか。
例えば,あるサッカー・チームが2点差で敗れたとしましょう。それは事実です。
しかし敗因については,ジャーナリストによって言い方が異なる場合もあります。


競争。ここ数十年の間に,テレビ局の数が増えるにつれ,視聴者が一つの局の番組を見る時間は劇的に減少しました。
テレビ局は,視聴者の関心をつなぎ止めておくために,ユニークなものや面白いものを提供せざるを得ません。
こうした進展に関して,「偏向報道」(英語)という本にはこう述べられています。
「テレビのニュースは,次々に写真を見せるショーになった。
映像は衝撃的なものや興奮させるものであり,話は視聴者のいよいよ短くなる注意持続時間に合うように短縮されている」。



間違い。ジャーナリストも,人間なので,うっかりミスを犯します。
誤字脱字,読点の打ち間違い,文法上の誤りなどのために,文章の意味が正しく伝わらないこともあります。
事実かどうかが注意深く確認されない場合もあります。ジャーナリストは,数値を書き間違うこともあります。
締め切り日に間に合わせるよう駆けずり回っているので,100,000と記すべきところをうっかり10,000としてしまうかもしれません。



誤った前提。正確な報道を行なうのは,人々が考えるほど容易なことではありません。
今日は事実と思われている事柄も,明日には間違いであったことが分かる場合もあります。
例えば,かつては太陽系の中心にあると信じられていた地球も,今では,太陽の周りを回っていることがよく知られています。



「平衡が必要」

ニュース報道を何でも信じ込んだりしないのは賢明なことですが,どれ一つ信用できないというわけではありません。
要は,固定観念にとらわれないで,確かめてから判断することです。

聖書には,「耳は,言葉を試さないだろうか。上あごが食物を味わうように」とあります。
(ヨブ 12:11)

以下に,聞いたり読んだりする言葉を試すのに役立つ事柄を幾つか挙げましょう。

情報提供: その報道は,権威ある信用できる人物または機関からのものですか。
その番組あるいは出版物は,誠実であるとの評判を得ていますか,それともセンセーショナルなことで知られていますか。
その情報筋に資金を提供しているのはだれでしょうか。

情報源: 徹底的な調査がなされたことを示す証拠がありますか。その記事の情報源は,一つだけですか。
信頼できる公平で客観的なものですか。平衡の取れたものですか,それとも一つの見解だけを伝えるように選択されたものでしょうか。

目的: こう自問してみてください。『これは主に,情報を伝えるためだろうか,それとも楽しませるためだろうか。
何かを売り込もうとしているだろうか,それとも何かを支持しているだろうか』。

論調: 憤まんや恨みのこもった,あるいは非常に批判的な論調で書かれている場合,それは攻撃であり,理性的な論議とは言えません。

一貫性: 書かれている事柄は,他の記事や報道と一致していますか。話が互いに矛盾しているなら,用心しましょう。

適時性: その情報は,受け入れる価値のある最近のものでしょうか。
20年前に正しいと考えられていた事柄は,今日では軽視されるかもしれません。
一方,ニュースが速報である場合,漏れのない包括的な情報ではないかもしれません。


では,ニュース報道を信用できますか。


「経験のない者はすべての言葉を信じ,明敏な者は自分の歩みを考慮する」という賢王ソロモンの言葉は,健全なアドバイスであると言えます。
(箴言 14:15)

 

 2017-05-20の再掲

 


新聞の影響力

2018年05月24日 | 日記

 

「新聞の影響力」

第一次世界大戦でドイツの君主制国家が倒れ,ベルリンに社会民主主義政権が誕生しました。
その後,共産主義者たちはこの新しい政府の打倒を目指しました。
共産主義者も政府側も,新聞を手中に収めれば単に世論を左右できるだけでなく,民衆そのものを掌握できると考えました。
こうして,新聞など報道機関の支配をめぐる熾烈な闘いが始まりました。

これまで数世紀にわたって,新聞は文化を形作り,政治を動かし,ビジネスの世界で重要な役割を果たし,
人々の日常生活に影響を与えてきました。新聞は,あなたの生活の中でどんな位置を占めているでしょうか。

ヨーロッパで最初の新聞は,1605年にドイツで誕生したようです。今日,ある国では,14歳以上の4人に3人までが新聞を毎日読んでいます。
発展途上国の中には日刊紙の発行部数が住民1,000人につき20部以下の所もある一方で,ノルウェーでは600部以上に達しています。
世界全体では,合計3万8,000の新聞が販売部数を競い合っています。

どこの土地でも,新聞は重要な出来事について大衆に伝えます。
しかし,それ以上のことを行なっていると言えます。新聞は情報を提供し,多くの読者はそれに基づいて物事の見方を形作ります。
「毎日の新聞を読むことによって,われわれの態度や行動,さらには基本的道徳観までが左右される」
と述べているのは,ドイツ・ユネスコ委員会のディーター・オッフェンホイザーです。

歴史家たちも述べるとおり,新聞は戦争をあおり,後押しし,正当化してきました。
1870年から1871年のプロシア・フランス(普仏)戦争,1898年のアメリカ・イスパニア(米西)戦争,
1955年から1975年のベトナム戦争などがその例として挙げられています。
幾多のビジネスマン,科学者,芸能スター,政治家たちが,新聞で公にされたスキャンダルによって憂き目に遭いました。
1970年代半ばの,あの有名なウォーターゲート事件では,新聞による調査報道がきっかけとなって,
米国大統領リチャード・M・ニクソンが辞任に追いやられました。良くも悪くも,新聞は無視できない力を及ぼします。

それにしても,新聞の持つこうした影響力はどのようにして始まったのでしょうか。新聞で伝えられる事柄はどこまで信頼できますか。
どんな注意を働かせれば,新聞から益を得られるでしょうか。


「新聞に載るのはどんなこと?」

だんだん狭くなる今日の世界で,十分な量のニュースや情報を見つけること自体は,多くの場合,特に問題ではありません。
「難しいのはむしろ,尽きることなく流れてくる膨大な量の情報の中から選び取ることである」と,
フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙(ドイツ語)の編集者たちは述べています。
ドイツの場合,通信社は新聞各社に毎日2,000件ものニュースを配信しています。
報道記者,通信員,テレビやラジオのニュース,その他の情報筋もまた,新聞の編集者にとって大量の情報の源となっています。

ニュースの約3分の2は,読者への情報提供で,各種メディア向けの発表,また音楽会,スポーツ競技会,集会など企画されたイベントについての報道です。
編集者は読者層について知り,その求める情報を提供する必要があり,農作物の収穫状況,何かの記念や祝祭の行事など,土地の人々に関心のある事柄を伝えます。

スポーツ欄,漫画コラム,政治の風刺画,論説記事などは,多くの人が目を通すところです。
特集記事,外国からのレポート,有名人や何かの分野で傑出した人物へのインタビュー記事などは示唆に富み,面白くもあります。

 

「新聞からどのように益を得るか」


「新聞を全く読まない人は愚かだが,さらに愚かなのは,新聞に出ているからといってそれを信じる人だ」。
(アウグスト・フォン・シュレーツァー,18世紀末のドイツのジャーナリストで歴史家)

 

ある調査で,英国とフランスの数千人に,合計13の組織や機構のそれぞれにどれほど信頼を置いているか,という点が質問されました。
最も信頼されていなかったのは新聞で,政治や大企業よりも下位でした。米国の場合,かなりの人が自分の読む新聞を信じると述べています。
それでも,ピュー・リサーチ・センターの調査によると,そのように信じている人の割合は減少しています。

新聞を信用しないということには,多くの場合,それなりの理由があります。
とりわけ,記事の内容がその発行されている国の利益にかかわるようなときです。どんな事が起きるでしょうか。真実が犠牲にされがちです。
20世紀英国の政治家アーサー・ポンソンビーがかつて述べたとおり,「宣戦布告のあと,最初の犠牲となるのは物事の真実さ」です。

 

戦争の起きていない時でも,報道されるニュースを健全な批判の精神で調べるのは賢いことです。
「経験のない者はすべての言葉を信じ,明敏な者は自分の歩みを考慮する」と,聖書の知恵のことばは述べています。
(箴言 14:15)


適切な注意力を働かせている限り,一般的に見て新聞は,必要な情報を求めるあなたの欲求を満たすものとなるでしょう。

 

 

2017-05-19の再掲