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ファッションは何を語るか

2020年08月12日 | 日記

ファッションは何を語るか

 

「普通,服は自分が社会のどの集団に属しているかを示す手段である」と,オーストラリアのシドニーにあるパワーハウス博物館のファッションキュレーター,ジェイン・ド・テリガは言います。
また,「人は自分がその一員であると見られたい集団を選び,それに応じて装う」とも述べています。
シドニー大学で心理学の講師を務めるダイアナ・ケニー博士に言わせると,衣服は人々を類別する手段として,宗教,富,職業,民族,教育,自宅の住所などと同じほど重要です。
ジェット誌(英語)によると,白人がほとんどを占める,米国のある学校では,「髪を三つ編みにしたり,だぶだぶの服を着たりするなど,“ヒップホップ”ファッションの格好をしている白人の女生徒たちに対して」,人種的緊張が「突如高まり」ました。なぜなら,「それらのファッションが黒人に関係しているから」でした。

 

サブカルチャーの中には,ミュージック界など,仲間意識が歴然としているものもあります。マクレアンズ誌はこう述べています。
「多くの場合,衣服は音楽の好みと一致する。レゲエのファンは明るい色の服を着て,ジャマイカの帽子をかぶる。一方,グランジロックが好きな人たちは,これ見よがしにスキー帽をかぶり,格子縞のシャツを着る」。
しかし,どんな種類のものであろうと,グランジと呼ばれる,だらしがなくてくだけた,みすぼらしい乞食ルックは高くつくことがあります。

 

服装の規準はどうなっているか

「何もかもがあなたの考えとは正反対かもしれない」と,コラムニストのウッディー・ホクスウェンダーは言います。
「男性のファッションは,かつては厳格な規準に支配されていたが,ますます始末に負えなくなっている。……何もかもが干し草用のフォークで投げたものを引っかぶったように見えるだろう」。
とはいえ,こうした流行は,場合によっては無頓着さをあらわにすることもあれば,自尊心の欠如や他の人に対する敬意の欠如を明らかにすることもあります。

「知覚及び運動に関する技能」誌(英語)は,学生が教師をどう見ているかについて述べた記事の中で,こう説明しています。
「ジーンズ姿の男性教師は,教室を楽しくすると思われてはいたが,その教師の意見にはほとんど敬意が払われず,何かを知っているとは思えない教師として選ばれることが最も多かった」。
同誌は次のようなコメントを述べています。「ジーンズ姿の女性教師は面白くて,近づきやすく,さほど知的ではなく,あまり敬意を受けるに値せず,教師らしくないが,概して好ましいと思われていた」。

 

一方,ビジネスの世界では,また別のファッション表現があります。それは女性の有能さや地位を強調した,パワードレッシングと呼ばれる服装です。
近年は,出世の階段を上ることを望む女性が増えてきました。「わたしは攻撃するために装います」と,ある出版社の重役であるマリーは言います。
また,「わたしは人目を引きたいと思っています。自分をひとかどの人物として売り込みたいのです」とも述べています。マリーは,自分自身に焦点を合わせていることを正直に明かしています。

当然,流行のファッションは教会にも入り込んでいます。ファッションに敏感な人たちの中には,最新の服を見せびらかすために教会を利用してきた人さえいます。
今では,説教壇上の僧職者はゆったりとした職服に身を包み,下にいる会衆はジーンズにスニーカー姿や,流行の服装である場合も少なくありません。

 


自分や自分らしさにこれほど執着するのはなぜかへ続く>>>