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自分や自分らしさにこれほど執着するのはなぜか

2020年08月12日 | 日記

自分や自分らしさにこれほど執着するのはなぜか

 

流行の服装,それも若者たちの間で流行している服装は,心理学者たちに言わせれば,人の注意を引きたいという願望を表わしているという点で,自己中心的な態度の表われです。
それは,「自分が他の人の注目の的になっていると考える,若者に見られる根深い傾向」と呼ばれています。
「あなたはわたしと同様,わたしに夢中なのでしょう」と言っていることにほかならないのです。―「アメリカ矯正精神医学ジャーナル」(英語)。

人間を舞台の中心に据え,神など関係ないとする哲学は,自分個人が世界で最も重要な人物であるという考え(商業によって広められることが多い)をも煽ってきました。
問題は,現在,そうした“最も重要な”人物がほぼ60億人もいることです。
キリスト教世界の諸宗派に属する非常に多くの人々もこの物質主義的な猛攻撃に屈し,「今この場での良い暮らし」を得ようと躍起になっています。

「このことを知っておきなさい。終わりの時代は困難で危機的な時になります。人々は自分を愛し,お金を愛し,自慢ばかりし,傲慢で,神や人を冒瀆し,親に従わず,感謝せず,
不忠実になります。自然な愛情を持たず,全く人に同意しようとせず,中傷し,自制心がなく,乱暴で,善いことを愛しません。
人を裏切り,強情で,思い上がり,神ではなく快楽を愛し,
信心深く見えても実際には神を敬っていません。こういう人たちから離れなさい」。

(テモテ第二 3:1~5)

これに加えて,家族という単位と純粋な愛が徐々に損なわれているので,多くの人,特に若者たちが自分らしさと安心感を与えてくれるものなら何にでもしがみつくのも不思議ではありません。

とはいえ,神のみ前における自分の服装と立場に関心を抱いている人が次のような疑問を抱くのはもっともなことです。
服装の規準の変化にどの程度従うべきだろうか。自分の服装がふさわしいかどうかはどうすれば分かるのだろう。
それは,自分について紛らわしい,あるいは間違ったイメージを与えるものだろうか。

 

自分はふさわしい服装をしているだろうかへ続く>>>