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神はいますか  いるとしたら何かが変わる?Ⅱ ~聖書

2021年06月03日 | 日記
神はいますか いるとしたら何かが変わる?Ⅱ
 
2. 心の安らぎ
 
世界で生じている苦しみのゆえに,神を信じられない人もいます。「全能の創造者がいるのなら,なぜ悪や苦しみを許しているのか」と思うのです。
 
慰めとなる聖書の答えによると,人間が苦しむことは決して神の望んでいたことではありませんでした。創造された当初の人間は,苦しみとは無縁の生活を送っていました。
死さえも,人間に対する神の本来の目的には含まれていませんでした。
「神である主は土の塵で人を形づ くり,命の息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きる者となった。神である主はエデンの東の方に 園を設け,ご自分が形づくられた人をそこに置かれた。
また神である主は,見て美しく 食べるのにも適したあらゆる木を土から生えさせ,園の中央には命の木と,善悪を知る木とを生えさせられた」。
(創世記 2:7~9)
 
「神である主は人を取ってエデン の園に置き,そこを耕し,守るようにされた。神である主は人に命じて仰せに なった,「お前は園にあるどの木の実を食べてもよい。しかし,善悪を知る木の実は食 べてはならない。それを食べると,必ず死ぬ」。
(創世記 2:15~17)
 
これは信じがたい話でしょうか。単なる空想なのでしょうか。いいえ,そうではありません。
全能の創造者である神がおられて,その方の主要な特質が確かに愛であるなら,神は人間がそのような生活を送ることを目的としておられたはずです。
 
では,人類はどうして現在のような状況にあるのでしょうか。聖書によると,人間は神により,自由意志を行使できる者として創造されました。ですから,ロボットのような存在ではありません。 神に従うよう無理強いされているわけではないのです。わたしたちの先祖である最初の人間夫婦は,神の導きを退け,自分たちのしたいようにするという利己的な道を選びました。
 
『さて,神(エホバ,ヤハウェ)が造った野生動物の中で蛇+が最も用心深かった。蛇が女に言った。「あなたたちは庭園の全ての木の実を食べてはならない,と神が言ったのは本当ですか」。女は蛇に言った。「私たちは庭園の木の実を食べてよいのです。でも,庭園の真ん中にある木の実について,神は,『食べてはならない。触れてもならない。食べたり触れたりするなら死ぬ』と言いました」。蛇は女に言った。「あなたたちは決して死にません。その木の実を食べた日に,目が開かれ,あなたたちが神のようになって善悪を知るようになることを神は知っているのです」。そこで女がその木を見ると,おいしそうな実が付いていて,魅力的な美しい木に見えた。それで女はその木の実を取って食べ始めた。その後,一緒にいた時に夫にも渡した。夫もそれを食べ始めた」。
(創世記 3:1~6)
 
『神である主は仰せになった, 「見よ,人は善悪を知り,われわれのひとりのようになった。今や,人は命の木の実をも食べ,永遠に生きるであろうから,彼が手を伸ば してこれを取らないように―」。そして,人をエデンの園から追い出された。これは土から取られた彼に,その土を耕させるためである。神である主は人を追い払われ た。そして命の木への道を守るためにエデンの園の東にケルビム(ケルブ)と煌めく炎の剣とを置かれた』。
(創世記 3:22~24)
 
その結果,わたしたちはいま痛ましい状況にあるのです。
 
人間の苦しみが神の目的の一部ではないと分かると,心が安らぎます。しかし,その状態から解放されたいとも思うものです。わたしたちは将来の希望を必要としています。
 
 
 
神はいますか いるとしたら何かが変わる?Ⅲ 3. 希望 へ続く>>>