私は,エホバの証人ではありませんが,時々,
エホバの証人より配布いただいてる,「目ざめよ」誌・「ものみの塔」誌,パンフレット等より引用の記事もあります。
(どこの宗教,宗派にも属していません)
*いろんな宗教にも交わりました(立正佼成会,創価学会,キリスト教のカトリック,プロテスタント等)
その中で,聖書に忠実に教えてるのは,エホバの証人と思います。
*私が用いる聖句は,新世界訳,新共同訳,新改訳,口語訳,回復訳(新約聖書のみ)
創造する力 ―『天と地の造り主』
あなたは,寒い夜,火のそばに立ったことがありますか。
きっと,炎から程よいところに手をかざし,火の暖かさを心地よく感じられたことでしょう。
近づきすぎると我慢できないほど熱くなり,後ろに下がりすぎると冷たい夜気が身にしみます。
昼の間,わたしたちの肌を暖めてくれる“火”があります。その“火”は,1億5,000万㌔ものかなたで燃えています。
それほど遠くにあるのに,その熱が感じられるのですから,太陽はとてつもなく強力であるに違いありません。
一方,地球は,この巨大な熱核反応炉からちょうどよい距離の軌道上を回っています。
近づきすぎると地球上の水は蒸発してしまい,離れすぎるとすべて凍結してしまうでしょう。
いずれの場合も,この地球は生命の存在しない場所となってしまいます。
太陽の光は地球上の生命に不可欠であるだけでなく,クリーンで効率が良く,その上,とても気持ちのよいものです。
「光は心地よい。日の光を見るのは目にとって良いことだ」。
(コヘレトの言葉・伝道の書 11:7)
ところが大抵の人は,自分の命が太陽に依存しているのに,太陽を当然のもののように考えています。
そのために,太陽から大切な点を学び損なってもいます。
聖書は神(エホバ,ヤハウェ)について,「あなたは光体を,太陽を備えられました」と述べています。
(詩編 74:16)
そうです,太陽は,『天と地の造り主』である神(エホバ,ヤハウェ)の誉れとなるものです。
「天は神の栄光を物語り,大空は御手の業を示す」
「神は天地を造った方。海とそこにある全てのものを造った方。いつまでもずっと真実な方」。
(詩編 19:1; 146:6)
太陽のほかにも,計り知れないエホバの創造する力を物語る天体は無数にあります。
では,その幾つかを詳しく調べ,その後,地球とそこに栄える生命とに注意を向けましょう。
「あなた方の目を高く上げて見よ」
ご存じのとおり,太陽は恒星です。夜空の恒星より大きく見えるのは,それらよりはるかに近いところにあるからです。
太陽はどれほど強力なのでしょうか。太陽の中心核の温度は摂氏1,500万度ぐらいあります。
太陽の中心核から針の頭ほどの小片を取り出して地上に置いたとすると,その小さな熱源から140㌔以内に近づくのは危険なほどです。
太陽は,何億個もの核爆弾の爆発に相当するエネルギーを毎秒放射しています。
太陽は非常に大きく,その中に地球なら130万個以上入ります。
では,太陽は特別に大きい恒星なのでしょうか。そうではありません。
天文学者は,太陽を黄色矮星と呼んでいます。
使徒パウロは,「星は他の星と栄光の点で異なります」と書きました。
(コリント第一 15:41)
パウロは,霊感によるこの言葉がどれほど真実であるかを理解していなかったでしょう。
恒星の中には,非常に巨大で,太陽の位置に据えると地球がその中に入ってしまうほどのものもあります。
別の巨星は,同じように据えると,はるか外側の土星までも呑み込んでしまいます。
土星は地球のかなた,強力な拳銃から発射された弾丸の40倍のスピードで飛行する宇宙船でも4年はかかる位置にあるのに,呑み込まれてしまうのです。
恒星については,大きさもさることながら,数に驚嘆させられます。
聖書も,星が事実上無数に存在し,「海の砂」と同じく数え尽くせないことを示しています。
「わたしは数えきれない満天の星のように,量り知れない海の砂のように,わが僕ダビデの子孫と,わたしに仕えるレビ人の数を増やす」。
(エレミヤ 33:22)
つまり,肉眼で見えるよりはるかに多くの星がある,という意味です。
エレミヤのような聖書筆者が夜空を見上げ,目に見える星を数えようとしても,数えられる星はせいぜい3,000個ぐらいだったでしょう。
晴れた夜に人間の肉眼で見分けられる星の数はその程度だからです。その数は,手にすくった砂粒の数になぞらえることができます。
海の砂の場合と同様,実際には途方もない数の星があるのです。
これほど多くのものを一体だれが数え尽くせるでしょうか。
イザヤ 40章26節はこう答えています。
「あなた方の目を高く上げて見よ。だれがこれらのものを創造したのか。
それは,その軍勢を数によって引き出しておられる方であり,その方はそれらすべてを名によって呼ばれる」。
詩編 147編4節には,『神は星の数を数えておられる』とあります。
「星の数」は幾つなのでしょうか。これはなかなかの難問です。
天文学者の推定によると,天の川銀河だけでも1,000億を超す恒星があります。
それでも,この銀河は数多くの銀河の一つにすぎず,もっと多くの恒星が集まっている銀河もたくさんあります。
どれほどの数の銀河があるのでしょうか。500億と推定する学者もいれば,1,250億もあるかもしれないと計算する学者もいます。
ですから,人間は銀河の数を特定することさえできないのです。
それらの銀河の中にある,おびただしい恒星の正確な数はなおのこと分かりません。
しかし神(ヤハウェ,エホバ)は,その数をご存じです。それだけではありません。それら恒星の一つ一つに名前まで付けておられます。
銀河の大きさを思い巡らすと,いっそうの畏敬の念に打たれます。天の川銀河の直径は推定10万光年ほどです。
光が,秒速30万㌔というすさまじいスピードで進んでいるところを想像してみてください。
その光でも,この銀河を横切るには10万年かかるのです。しかも,その何倍も大きい銀河もあります。
聖書は,神がこの広大な天を単なる布でもあるかのように『張り伸ばして』おられる,と述べています。
「服を着るように光で身を包み,天を天幕の布のように広げる」。
(詩編 104:2)
さらに神は,それら創造物の運行を制御しておられます。
極小の星間塵の粒子から極大の銀河に至るまで,すべてのものは,神が定め,施行しておられる物理法則に従って動いています。
「あなたはすばる座の鎖を結びつけることができるか。オリオン座の綱を解くことができるか。
あなたは十二宮をその時々にしたがって引き出すことができるか。牡牛座をその子の星とともに導くことができるか。
あなたは天の法令を知っているか。地にその法則を立てることができるか」。
(ヨブ 38:31~33)
そのため科学者たちは,天体の精緻な運行を,細部にまで注意の行き届いたバレエの舞踏法になぞらえているほどです。
では,それらの物を創造した方について考えてみてください。
ここで取り上げたような計り知れない創造する力を有しておられる神に,畏敬の念を感じるのではないでしょうか。