私は,エホバの証人ではありませんが,時々,
エホバの証人より配布いただいてる,「目ざめよ」誌・「ものみの塔」誌,パンフレット等より引用の記事もあります。
(どこの宗教,宗派にも属していません)
*いろんな宗教にも交わりました(立正佼成会,創価学会,キリスト教のカトリック,プロテスタント等)
その中で,聖書に忠実に教えてるのは,エホバの証人と思います。
*私が用いる聖句は,新世界訳,新共同訳,新改訳,口語訳,回復訳(新約聖書のみ)
《王国政府が希望の光となる理由》
イエス・キリストは神の王国の王として,宇宙全体に権威を行使する力と権利を与えられています。
「イエスは近づいて,こう話した。『私には天と地における全ての権威が与えられています』」。
(マタイ 28:18)
イエスは,地球の生態系を完全にバランスの取れた状態に戻してくださいます。
また,病気を完全に征圧されます。イエスが地上で行なわれた強力な業は,ご自分が完全かつ信頼できる王として支配する時に実現する,より大きな祝福の予告編でした。
次に,このメシアなる王の特質を挙げましょう。あなたはとりわけどの特質に心を引かれますか。
■ 近づきやすい。
『さて,イエスに触れてもらうために,人々が幼い子供たちを連れてきたが,弟子たちは人々を叱りつけた。イエスはこれを見て憤り,言った。「子供たちを私の所に来させなさい。止めようとしてはなりません。神の王国はこの子供たちのような人のものだからです。はっきり言いますが,幼い子供のように神の王国を受け入れる人でなければ,決してそこに入れません」。それから,子供たちを抱き寄せ,手を置いて,祝福があるようにと願い始め』。
(マルコ 10:13~16)
■ 道理にかない,公平。
『ゼベダイの息子であるヤコブとヨハネが近づいてきて,言った。「先生,ぜひともお願いしたいことがあるのですが」。イエスは言った。「何をしてほしいのですか」。2人は言った。
「栄光をお受けになる時,私たちの1人をあなたの右に,1人を左に座らせてください」。しかしイエスは言った。「あなたたちは,自分が何を求めているか分かっていません。
私が飲んでいる杯から飲み,私が受けているバプテスマを受けることができますか」。2人は,「できます」と言った。イエスは言った。「あなたたちは,私が飲んでいる杯から飲み,私が受けているバプテスマを受けるでしょう。しかし,私の右または左に座ることは,私が決めることではありません。その場所は,そこに座る者たちのために用意されています」。
ほかの10人はそのことを聞くと,ヤコブとヨハネに対して憤った。しかしイエスは弟子たちを呼び,こう言った。「あなたたちは,国々の支配者と見なされている人たちが威張り,偉い人たちが権威を振るうことを知っています。あなたたちの間ではそうであってはなりません。偉くなりたい人は奉仕者でなければならず,1番でありたい人は皆の奴隷でなければなりません。
人の子でさえ,仕えてもらうためではなく仕えるために,また多くの人と引き換える贖いとして自分の命を与えるために来たのです」』。
(マルコ 10:35~45)
■ 信頼でき,利他的。
『次いで,悪魔はイエスを聖なる都に連れていき,神殿の最も高い所に立たせて,言った。「神の子なら,飛び降りなさい。『神はあなたのために天使たちに命令を出す』,
『天使たちはあなたを手に乗せて運び,あなたが石に足をぶつけないようにする』と書いてありますから」。イエスは言った。「『神(エホバ,ヤハウェ)を試してはならない』とも書いてあります」』。
(マタイ 4:5~7)
「群衆は皆イエスに触ろうとしていた。イエスから力が出て,全ての人を癒やしていたからである」。
(ルカ 6:19)
■ 義にかない,公正。
「彼は喜んで神(エホバ,ヤハウェ)を畏れる。見える事柄だけに基づいて裁くことをせず,聞いた事柄だけに基づいて戒めることもしない。立場が低い人たちを公平に裁き,地上の温厚な人たちのために公正に戒めを与える。口から出る棒で地上を打ち,唇から出る息で邪悪な人々を死に至らせる。正しさが帯として胴に巻かれ,忠実さも腰の帯となる」。
(イザヤ 11:3~5)
「私は自分からは何一つ行えません。聞く通りに裁きます。私の裁きは正しいものです。自分の意志ではなく,私を遣わした方(神)の意志に沿って行うからです」。
(ヨハネ 5:30)
「もし私が裁くとしても,正しく裁きます。私は1人ではなく,私を遣わした父が一緒にいるからです」。
(ヨハネ 8:16)
■ 思慮深く,思いやりがあり,謙遜。
『イエスは,父が全てのものを与えてくださったことと,自分が神のもとから来て神のもとに行こうとしていることを知っていて,食事の席から立ち,外衣を脇に置いて,拭き布を取って腰にくくった。それから,たらいに水を入れて弟子たちの足を洗い,腰にくくった布で拭き始めた。こうしてシモン・ペテロの所に来た。ペテロは,「主よ,あなたが私の足を洗うのですか」と言った。イエスは答えた。「あなたは私がしていることを今は理解していませんが,後になれば理解できます」。ペテロは言った。「足を洗っていただくことなどできません」。イエスは答えた。「私が洗わないとしたら,あなたは私の仲間ではありません」。シモン・ペテロは,「主よ,足だけでなく,手も頭もお願いします」と言った。イエスは言った。「体を洗った人は全身が清く,足以外は洗う必要がありません。あなたたちは清いのです。しかし全員ではありません」。イエスは,自分を裏切ろうとしている者を知っていたので,「全員が清いのではない」と言ったのである。イエスは弟子たちの足を洗い,外衣を着てから,再び食卓に着き,こう言った。「あなたたちにしたことが理解できますか。あなたたちは私を『先生』や『主』と呼びます。それは正しいことです。私はそういう者だからです。それで,主であり先生である私があなたたちの足を洗ったのであれば,あなたたちも足を洗い合うべきです。私はあなたたちのために模範を示しました。あなたたちも同じようにするためです』。
(ヨハネ 13:3~15)