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目に関する知恵の言葉~聖書

2020年02月19日 | 日記

 


目に関する知恵の言葉

人間の目は芸術作品です。
しかし,美しいだけではありません。
目には大きな力があります。
「ビジュアル・インパクト ― 見せて教える」(英語)という本はこう述べています。
「脳に達する神経線維の40%は網膜につながっている」
網膜は眼球内部を覆っている薄い複合組織です。


イエス・キリストは適切にも目を「体のともしび」と呼びました。
こう説明しています。
「もし目が純一であれば[誠実であれば,良いことに焦点が合っていれば],あなたの体全体は明るいでしょう。
しかし,目がよこしまであれば,あなたの体全体は暗いでしょう」。
(マタイ 6:22,23)

イエスは,わたしたちの考えや感情や行動に影響を及ぼす目の力について,印象的な仕方で話したのです。
良い考えは人の生き方を明るくしますが,悪い考えは人の生き方を暗くします。

例えば,マタイ 5章28,29節にあるイエスの言葉を考えてみましょう。
「女を見つづけてこれに情欲を抱く者はみな,すでに心の中でその女と姦淫を犯したのです。
そこで,もしあなたの右の目があなたをつまずかせているなら,[比喩的な意味で]それをえぐり出し捨て去りなさい」。
何を言おうとしていたのでしょうか。
みだらな目で異性を見ているなら,間違った欲望がかき立てられます。
そして機会が訪れた時,不道徳な行ないをして神の恵みを失ってしまうかもしれません。

「むしろ,人はそれぞれ,自分自身の欲望に引かれ,唆されて,誘惑に陥るのです。
そして,欲望ははらんで罪を生み,罪が熟して死を生みます」。
(ヤコブ 1:14,15)

たとえ目をえぐり出すのと同じほど難しいことだとしても,自制心を働かせるほうがはるかに良いはずです。
実のところ,つかの間の快楽のために永遠の命の見込みを失ってしまうのは,何と残念なことでしょう。

目で見るものによって貪欲が助長されることもあります。
ですから,聖書は次のように警告しています。
「〔利己的な〕目の欲望……は父(神)から出るのではなく,世から出るからです。さらに,世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。
しかし,神のご意志を行なう者は永久にとどまります」。

「なぜなら,すべて世にあるもの,〔すなわち〕肉の欲望,目の欲望,資産の奢りは父(神)から出たものではなく,世から出たものだからである。
そして世とその欲望は過ぎ去る。しかし,神の意志を行なう者は永遠に留まる」。
(ヨハネ第一 2:16,17)


聖書は厳し過ぎるのでしょうか。

いいえ,そのようなことはありません。

聖書の規準を軽く見るなら,問題と不幸を招きます。

「欺かれてはなりません。神は侮られるような方ではありません。なぜなら,人がまくものは何であれ,これをまた刈り取るからです。
自分の肉へとまく者は,肉から腐敗を刈り取りますが,その霊へとまく者は,その霊から永遠の命を刈り取ります」。
(ガラテア 6:7,8)


しかし,比喩的な目に関する知恵の言葉を含め,神の言葉 聖書に従うなら,幸福のためにまいていることになります。
神の言葉を聞いてそれを守っている人たちこそ幸いです」とイエスも述べています。

『しかし,イエスは言われた,「むしろ幸いなのは,神の言を聞いて,それを守る人たちである」』。
(ルカ 11:28)


しかも,そのような人たちは地上で永久に生き続けることができます。

一方,不道徳で貪欲な目を持つ人たちは,幸福も命も失ってしまうのです。