ゆがんだ環境
カメレオンは周囲の環境に合わせて体の色を変えます。同様に,犯罪者と付き合う人は往々にして犯罪者の性向に倣うものです。
聖書は,「よこしまな事柄のために群衆に従ってはならない」と警告しています。
「悪を行う群衆に従ってはならない。群衆に受けが良い証言をして公正さをゆがめてはならない」。
(出エジプト記 23:2)
一方,正直で品行方正な人とよく交友を持つなら,良いことを行なおうという気持ちは強まります。
「賢い人たちと共に歩むと賢くなり,愚かな人たちと関わり合うと苦しい目に遭う」。
(箴言 13:20)
しかし,間違った行動を取る人と実際に付き合わなければ悪影響を受けずに済む,と考えるわけにはいきません。人間は不完全なので,心の奥に潜む悪い傾向が表面に現われることがあるからです。
「善いことを行うようになれば,好意を得られるのではないか。しかし,善いことを行うようにならなければ,戸口で待ち構えている罪があなたを捕らえようとする。あなたはそれを押しとどめるだろうか」。
(創世記 4:7)
そのうえ,メディアを通して悪が家庭に入り込むこともあります。ビデオゲームやテレビや映画は,しばしば暴力行為や復しゅうを美化します。世界や国内のニュースを日常的に見聞きすることでさえ,人間の苦しみや難儀という害悪に対する感覚を鈍らせる可能性があります。
こうしたゆがんだ環境を生み出しているものは何でしょうか。「この世全体が悪い者の支配下にある」と,聖書は答えています。(ヨハネ第一 5:19)
「悪い者」,すなわち悪魔サタンは,偽り者,また人殺しであることが聖書の中で暴かれています。
「あなた方は,あなた方の父,悪魔から出ていて,自分たちの父が欲することを行おうとしています。その者はその始まりから人殺しで,真理から離れました。真理を好まないからです。彼にとって,うそを語るのは自然なことです。うそつきで,うその根源だからです」。
(ヨハネ 8:44)
その者は,自分の支配下にある世が与える影響力によって悪を広めているのです。
人の態度や行動は,こうした要素すべてによって形作られるので,ある人たちは悪い行ないをしても自分には責任がないと考えます。
しかし,本当にそうでしょうか。車や船がどこに進むかは,ハンドルやかじをどう切るかによって決まります。同じように,人がどんな行動を取るかは何を考えるかによって方向づけられます。
良い人か悪い人か ― 選ぶのはあなた へ続く>>>>