私は,エホバの証人ではありませんが,時々,
エホバの証人より配布いただいてる,「目覚めよ」誌・「ものみの塔」誌
パンフレット等より引用の記事もあります。
(どこの宗教,宗派にも属していません)
*いろんな宗教にも交わりました
(立正佼成会,創価学会,キリスト教のカトリック,プロテスタント等)
その中で,聖書に忠実に教えてるのは,エホバの証人と思います。
*聖句は,新世界訳,新共同訳,新改訳,口語訳
愛する家族を失った人へ
ほかでは得られない助け
最近,多くの研究者たちは,大切な人を失ったときの悲しみの反応についてより深く知ろうとしています。
その結果として専門家が勧めるアドバイスの多くは,聖書に収められた古くからの知恵の言葉と一致しています。
これは,聖書のアドバイスが今でも役立つということの証拠です。
しかし,それだけではありません。聖書には,ほかでは見つけられない慰めとなる情報も収められています。
死んだ人は苦しんでいない
「死んだ者には何の意識もない」と伝道の書・コヘレトの言葉 9章5節には書かれています。
「考えは滅びる」,つまり消え去るのです。
「霊が人間を去れば,人間は自分の属する土に帰り,その日,彼の思いも滅びる」。
(詩編 146:4)
それで,聖書は死んだ状態を安らかな眠りに例えています。
『イエスはこれらのことを言われたが,そののち彼らにこう言われた。
「わたしたちの友ラザロは休んでいますが,わたしは彼を眠りから覚ましにそこへ行きます」』。
(ヨハネ 11:11)
優しい神様は悲しみを和らげてくださる
詩編 34編15節にはこうあります。
「主(神)の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる」。
神様に祈り,気持ちを打ち明けることは,単なるセラピーでも考えを整理するためのプロセスでもありません。
すべての命の源である神(ヤハウェ,エホバ)に祈ると,神様を身近に感じ,その優しさを知る機会になります。
希望がある
亡くなった人が生き返ってくることを想像してみてください。
聖書はそうした希望について何度も述べています。その時,地球にはどんな光景が広がっているでしょうか。
こう書かれています。
「神はわたしたちの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない」。
(啓示 21:3,4)
聖書の神を信じる大勢の人たちにとって,亡くなった人とまた会えるという希望は大きな力になりました。
65年間連れ添った夫を亡くしたアンはこう言います。
「亡くなった人が苦しんでいないことや,神様が亡くなった人たちを生き返らせてくださることを知って,
ほっとしました。悲しくなったときにはいつもこうしたことを考えます。この希望のおかげで,人生で一番つらい出来事に対処することができています」。
ティーナもこう言っています。「ティモが亡くなった日からずっと神様が支えてくださっています。
大変な時には特にそう感じます。わたしにとって聖書の希望は現実のものです。夫にまた会える日が来るまで頑張り続ける力になっています」。
聖書を信頼している何百万もの人たちも同じように感じています。
でも,聖書の希望は非現実的で夢みたいだとあなたは感じますか。
そうあれば,単なる夢物語なのかどうか,ご自身で調べてみてください。
きっと聖書が確かな助けになることに気づかれるでしょう。