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世界中から偏見がなくなる ― いつ? Ⅱ

2020年08月27日 | 日記

世界中から偏見がなくなる ― いつ? Ⅱ

 

「わたしには夢がある」。今から50年前の1963年8月28日,米国の公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング2世が,最も有名な演説の中でそう言いました。
キング牧師は,人を引きつけるその言葉を繰り返して,いつの日か人々が人種偏見のない生活を楽しむようになるという自分の夢つまり希望を言い表わしました。
その願望は米国の聴衆に向けて語られたものですが,夢の本質的な部分は多くの国の人々にも受け入れられてきました。

 

その演説の3か月後,1963年11月20日には,100余りの国々が,あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際連合宣言を採択しました。
その後の数十年間に,他の世界的規模の行動計画も採択されました。そのような大々的な努力が払われたのですから,当然,それはどんな結果をもたらしてきたのか,という問いが生じます。

 

2012年3月21日,パン・ギムン国連事務総長はこう述べました。
「人種主義,人種差別,外国人排斥,およびそれに関連した不寛容を防ぐとともに一掃するための,価値ある条約や手段が数多くある。また,そのための包括的な世界的規模の枠組みもある。にもかかわらず,
今なお人種主義が原因で世界中の多くの人々が苦しんでいる」。


人種主義その他の偏見との闘いの点で幾らか成功している国や地域においてさえ,いまだに次のような疑問が残っています。そうした進歩によって本当に人々の根強い偏見が取り除かれたでしょうか。
それとも,単に偏見が表に出ないようにされただけでしょうか。それは差別を防ぐ一助となるだけで,偏見を根絶する点では無力だ,と考えている人もいます。
なぜそうなのでしょうか。なぜなら,差別は目に見え,法律で処罰できる行為であるのに対し偏見は人々の内奥の考えや感情に関連した,容易には規制できないものだからです。

 

ですから,偏見を根絶しようとする試みは,差別行為を単に抑制するだけではなく,特定の集団の人々に対する考えや気持ちをも変えさせるものでなければなりません。

しかし,そのようなことが本当に可能でしょうか。可能だとしたら,どのようにしてするのでしょうか。


では,そうした変化を遂げられること,またそうするのに助けになるものがあることを理解するために,幾つかの実例を見てみましょう。

 

 

世界中から偏見がなくなる ― いつ? Ⅲ
偏見を克服するのに聖書が助けになった へ続く>>>