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ハンセン病 差別と偏見との戦い~熊本県民テレビ~

2019年02月24日 | 日記

 

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ハンセン病 差別と偏見との戦い

一部引用
ハンセン病はらい菌の感染によって、菌の抵抗力のない人にごくまれに発病する感染性疾患です。
ノルウェーの医師、アルマウェル・ハンセン(1841~1912)がらい菌を発見したことからこう呼ばれています。
通常生活でうつることはなく、今は薬で完全に治ります。
しかし、かつてはハンセン病は「うつると不治の病」という誤った知識が広がり、誤解が患者や元患者、その家族らに対する偏見や差別を助長してきました。

その原因にもなったのが、100年以上前に始まった国の強制隔離政策です。らい予防法の始まりは1907年(明治40年)、
「癩(らい)予防ニ関スル件」が制定され、各地を放浪し、神社や寺、公園などに寝泊まりしている患者の取り締まりが行われました。
1931年(昭和6年)に「癩予防法」に改められた後は、強制隔離の対象が家で療養している患者にも広がりました。

1947年(昭和22年)には治療薬「プロミン」が日本でも使われるようになり、ハンセン病は治る病気になりました。
にもかかわらず、1953年(昭和28年)に制定された新たな「らい予防法」では、患者の労働や外出禁止が追加されていました。
 

 

 


*実家の近くにハンセン病の国立療養所療養所

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「東北新生園」

が、あり小学生の頃、よく出入りしてました。
この中の映画館で映画(無料)みてました。

重度の人から軽度の人まで、東北各地出身のハンセン病の方々が住んでいます。
軽度の人たちは、近隣の家庭の増改築等のボランティアを(実家にも手伝いに来ていただきました)
 

 

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バケモノと呼ばれ、就職差別も

右顔に紫色のコブがある藤井輝明さん(60)は、差別を受けた体験を学校で講演しています。その思いを、聞きました。

私は2歳の時、血管が変形する「海綿状血管腫(かいめんじょうけっかんしゅ)」を発症し、右の顔が膨れあがりました。
24歳で手術を受ける前、膨らみは今の2.5倍もありました。
初めての差別は小学校1年生の時です。いじめグループに「バケモノ! 病気がうつるから学校から出て行け」と言われました。
石を投げつけられたこともあります。先生も守ってくれず、私は悲しくて、この世から消えていなくなりたいと思いました。
親が見かねたのでしょう。2年生で転校しました。転校先では、先生が病気について説明してくれたおかげで、いじめられることはありませんでした。

この体験を、15年以上にわたり小学校などで講演し、「『チビ』『デブ』など、見た目でニックネームをつけることは友だちを傷つける恐れがあるから気をつけようね」と伝えています。
コブを触ってもらうこともあります。
「感染する病気でないよ」と説明すれば、子どもたちは怖がることなく、「プリンみたい」と感想を言いながら触ってくれます。
正しい知識を持つことが、偏見をなくすために、いかに大切か身に染みて感じています。

中高生のころには、街中でジロジロ見られるのが苦痛で、私はにらみ返していました。大学で友人が「もっと笑いなよ」と忠告してくれました。
試しに、すれ違った人に「ニコッ」とすると、笑顔が返ってきました。私は「笑顔で生きよう」と決心し、自分から話しかけるようにしました。

就職活動では、私の自尊心が木っ端みじんに砕かれました。金融業を希望しましたが、50社から不採用の知らせを受けました。
「その顔では雇えない」。人事担当者に言われた言葉です。顧客や取引先が嫌悪感を抱く恐れがあるというのです。
その後、縁あって、「あなたのような人が医療や福祉に必要」と誘われ、医学研究所の事務官となりました。
数年後には医学系の大学に入り直し看護学を専攻。医学博士となり、大学で医師の卵たちに自らの体験を伝えてきました。
 

 

 

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「その容姿や丈の高さを見てはならない・・・神の見るところは人の見るところと異なるからだ。
人は目に見えるものを見るが、神(ヤハウェ、エホバ)は心がどうかを見るからだ」。
聖書(サムエル記 上・第一16:7)


「容姿や背の高さに目を向けるな・・・人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主(神)は心によって見る」。
聖書(サムエル記 上・第一16:7)


「顔かたちや身のたけを見てはならない・・・わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主(神)は心を見る」
聖書(サムエル記 上・第一16:7)
 

 

2017-08-15の再掲