過保護
問題点。多くの新入社員は,逆境に対処する備えがほとんどできていないように見受けられます。ほんの少し指摘されただけで立ち直れなくなる人たちもいます。
さらには,こだわりが強すぎて,自分が本当にやりがいがあると感じる仕事しかしない人もいます。
ジョセフ・アレン博士はその著書「思春期を抜け出せない大人にしないために」(英語)の中で,就職の面接を受けに来た青年の例を挙げています。
その人はアレン氏にこう言いました。「退屈なところのある仕事って,ありますよね。そういう仕事は,したくないんです」。
アレン博士はこう書いています。「この青年は,どんな仕事にも退屈な面は付きものであることを理解していないようだ。23歳にもなって,そんなことも知らないのだ」。
背景にあるもの。ここ何十年か,多くの親たちは,子どもが逆境に全く遭わないよう守ってあげなければならないと感じるようになっています。
娘が試験で悪い点を取ると,教師に抗議して成績を上げるよう求める親がいます。あるいは,息子が反則切符を切られたなら,代わりに反則金を払うのです。交際していた相手に振られたなら,
すべて相手が悪いのだと言って慰めます。
子どもを守りたいと思うのは自然なことですが,過保護になると子どもは思い違いをしかねません。自分の行動に責任を取る必要はないと考えてしまうのです。
「積極的なしつけ ― ティーンエージャー編」(英語)という本にはこうあります。
「痛みや失意は耐えることができる,またそこから教訓が得られる場合もあるということを学ぶ代わりに,子どもは極めて身勝手になり,周囲の人や親たちが自分を支えるべきなのだと思い込んでしまう」。
聖書の見方。逆境は人生に付きものです。
聖書も,「悪いことはだれにでも起きる」と述べています。
「私はこの地上で次のことも知るようになった。足の速い人がいつも競走に勝つわけでも,強い人が戦いに勝つわけでもない。また,賢い人がいつも食事にありつけるとは限らない。
知的な人が裕福になるとも,知識がある人が成功するとも限らない。なぜなら,思いも寄らないことがいつ誰にでも起きるからだ」。
(伝道の書・コヘレトの言葉 9:11)
良い人であってもこのことに変わりはありません。例えば,クリスチャンの使徒パウロは宣教奉仕の期間中にありとあらゆる苦難に耐えました。
ですが,逆境に立ち向かうことはパウロの益となったのです。次のように書いています。
「わたしは,どんな境遇にあろうとも自足することを学び知ったからです。……飽きるにも飢えるにも,満ちあふれるほど持つにも乏しさを忍ぶにも,その秘訣を学び取りました」。
(フィリピ・ピリピ 4:11,12)
親にできること。お子さんの成熟の度合いを考慮に入れつつ,「人はおのおの自分の荷を負うのです」(ガラテア 6:5)という聖書の原則を当てはめるよう心がけてください。
息子が反則切符を切られたなら,自分の小遣いや給料で払わせるほうがよいかもしれません。娘が試験で悪い点を取ったなら,次はもっと勉強しなければならないことに本人が気づくよいきっかけになるでしょう。 息子が失恋したなら,慰めることができます。
それとともに,折を見ながら,「今回のことで,自分を変えなければならないところが何か明らかになっただろうか」などと考えるよう助けてください。
子どもは問題に取り組むことで,立ち直る力や自信を得てゆきます。だれかが絶えず救助の手を差し伸べていたなら,そうした資質は身につかないでしょう。
「各人は自分の業がどんなものかを吟味すべきです。そうすれば……歓喜する理由を持つことになるでしょう」。
(ガラテア 6:4)
与え過ぎ へ続く>>>